鹿角の昔ばなし@:特集 八郎太郎三湖伝説 秋田の民話:辰子姫物語@ |
むかし、院内の里に辰子という世にも稀な美しい娘があった。辰子は母と二人暮らしであったから、母をたすけてよく働いた。 このころのくらしは苦しいが、また楽しみも多かった。春になれば村の若者や娘たちは山にのぽって野火を焼いた。火のはぜる音、枯草のやけるこうばしい煙、娘たちはいっそう美しくなり、なかでも辰子のいきいきとした黒い瞳や、赤い唇はすこやかに美しい。また娘たちは、こだしを肩にかけて山菜を山につむ。わらび、ふきのとう、タラの木の芽、山にはからだのしんまですがすがしくなるようなたべものがあふれていた。 夏になれば娘たちはそろって麻を刈り、夜のやみに大釜をすえて麻をにた。さわやかな夜風の中で辰子はうたをうたった。その声は銀の鈴をふるようにあたりにしみとおっていった。 秋になれば娘たちは一日そろって野萩を刈った。夕ぐれ、野萩をたっぷりもらった馬は、よろびにひずめをうちならした。辰子の胸もよろこびにふくらんで、辰子は馬の背にまたがり、すすきの中を走らす、そんな辰子の姿は荒々しくも美しかった。 冬になれば辰子は、いろりのそばでわらをなった。かと思うと雪の中へとんででてうさぎを追う。そんな時の辰子は童女のようにおさなく美しかった。 そんな風によく働き、やさしくも美しい辰子を、村の人びとは自分たちの娘のようにいとしがり、ほこりにも思った。 「辰子ほど美しい娘が、この世に今までいただろうか。」 村人たちは顔をあわせては、よく語りあうのだった。 しかし、辰子はそんなことは気にもとめなかった。美しいということがどういうことか考えてもみなかった。ただいきいきと生きるよろこびにあふれて、野や山を走りわっていた。 ある秋も深い日のことであった。 今日も一日木の実をつんで山を歩きまわった辰子は、泉のそばに坐って水をのみ、ほっと一息ついた。上気した顔は赤らんで、髪もみだれている。辰子は泉をのぞきながら髪をくしけずりはじめた。水をのむときひろがった波紋(はもん)はやがてしずまり、水の面は鏡のように澄んで辰子を映しだした。 辰子はふと、くしをうごかす手をとめた。 「まあ、何てきれいな……。」 白い肌は底から照り映えるように、なめらかだった。大きな瞳はふかい湖のように蒼味をおびて澄みとおっている。いきいきとした唇は、ある時はあいらしく、ある時は気品たかい。 「これが私? 私はんなに美しかったのだろうか?」 辰子は眼をみはった。水鏡に映った辰子も眼をみはった。辰子は呆然といつまでしもいつまでも水鏡に映る自分をみつめつづけた……。 この日から辰子は変った。 今まで心のうごくままに野山を走りまわっていた辰子は、じっと物思いに沈むようになった。 やがてひひとして雪がふりつむ冬が来た。長い冬の間、いろりのそばに坐って、辰子は火をみつめて考えつづけた。 「やがて春がくる……。そして夏がすぎ秋がすぎ、また冬がめぐってくる……。こうしてみんなだんだん年をとっていく、美しい娘たちも腰のかがまったとしよりになっていく……。」 辰子は両手で頻をおさえた。 「ああ、私には我まんできない……私もそうなるのだろうか? この美しい私も?」。 しかし。お前だけは、違うとこたえる声はなかった。田子の胸はしめつけられるように苦しく切なくなつてきた。村のとしよりたちが、ろばたへよっていくのでさえ、今の辰子には苦しかった。 「私もああなるのだ、いつか私も……。」 そして遂には母の姿さえ、未来の自分かと思われ、人間と生まれたことすらのろわしくなっていく。 眠られぬ夜がつづいた。やみの中をみつめて辰子は身もだえた。 「そうだ、神さまにおねがいしよう、神さまに一心こめておねがいしよう、それしか道はないのだ……。」 辰子はそっと家を抜けだした。道にはまだ残雪が白い。月光も身を刺すかと思われるほど冷たかった。しかし辰子は寒さもわすれ、真夜中の道を院内嶽へと歩きつづけた。そこには大蔵山(おおくらさん)観音のお堂があった。 |