昔っこ いま ……
<13> 秋田魁新報記事
「太右衛門と天狗」
(鹿角市) ……… 夜明島渓谷で修行
鹿角市八幡平の桃枝(どうじ)の集落から始まる全長十八キロに及ぶ夜明島川の渓谷
は、大小数多くの滝が飛沫(ひまつ)を上げ、奇岩絶壁が行く手に立ちはだかり、いま
なお”秘境”と呼ぶにふさわしい景観と雰囲気を残している。
この渓谷にまつわる昔話が「太右衛門と天狗」。その粗筋は「その昔、八幡平曙に大
石太右衛門という郷士がいて、『天狗のような神通力を備えた武芸者になりたい』と夜
明島の奥深くに住むという天狗にあこがれていた。四十歳を過ぎたある夏の日、渓谷に
分け入った。泊(とまり)滝の前に来ると『八幡大菩薩、我に神力を授け給え』と願う
が、『我は女滝、そなたの願いには沿えられぬ』と断られる。渓谷第一の茶釜(ちゃが
ま)滝にも願うが、『わしは男滝じゃが既に老齢。願いには応じられない』と再び断ら
れる。失望して引き返すが、途中で放った大きなおならが渓谷にこだまする。『わが力
はまだうせていない。戻ってもう一度天狗に願ってみよう』と茶釜滝に引き返し、日夜
祈り続けると、ある日ついに滝の化身の天狗が現れる。天狗の指導で水を跳び、岩をく
ぐる修行を続けた太右衛門はついに十間以上も隔たっているハネ石、トビ石を見事に跳
ぶことができるようになった」というもの。
車道も歩道もなし
太右衛門が難儀しながら分け入った夜明島渓谷は、八幡平と森吉山の両アスピーテに
挟まれた夜明島川の最上流部。渓谷入り口の手前で車道は途切れ、歩道もない。沢に沿
って渓流の中を歩いたり、備え付けのワイヤーやチェーンにすがって急斜面を伝い歩い
たり、よじ登るなどしないと先に進めない。その険しさのため地元の人たちでさえ、最
も奥にあり、渓谷中の数多くの滝の中でも随一とされる「茶釜の滝」を実際に見た人は
少ない。この滝の高さは約百メートル。飛沫を上げながらごう音を上げて滝つぼに落下
するその様子が茶釜に注がれる水のようなイメージを与えることから名付けられた。
一昨年、この滝が緑の文明学会(会長・高橋延清東大名誉教授)などが全国から募集し
た「日本の滝百選」に選ばれた。市では二年度から二カ年継続事業として整備を行い、
初年度は渓谷の下流部の泊滝入り口と上流部からの入り口となる大場谷地の二カ所に案
内板を設置した。また、登山道コースの危険箇所六十四カ所にワイヤの新設・更新を行っ
たほか、十一カ所にチェーンを掛け、三カ所にアルミ製のはしごを架けるなどした。昨
年度は国道341号に沿うようにして、大場谷地の湿原に長さ五百メートル、幅五十センチ
の木道を設けた。
実在の人物だった?
十七年間、渓谷のふもとの長牛(なごし)地区で夜明島荘を営み、渓谷の案内役を務
めたり、自然環境の保護に努めている石坂佐一さん(六六)は「太右衛門は実在した人物
だったらしく、大正時代まではその子孫が曙に住んでいたと父から聞かされた」と語り、
「茶釜の滝が百選に選ばれて以来、全国から訪れる人が随分増えた。しかし、昨年の台
風19号で松やブナなどの倒伏がひどく、登山コースをふさいだり、一部に土砂崩れなど
も見られる。雪が解ける六月には登山客も来るようになるので、復旧整備を急いでほし
い」と訴えている。
行く手を阻む絶壁、秘境の景観残る
写真:GLN企画普及室
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