すぐれた自然の作沢沼

「不思議な沼」について

 平成12年6月27日秋田地方紙に作沢沼を「不思議な沼」として取り上げられましたが、 これを読んだ人から、「貴重な自然を大人たちの遊び場にしていないか、不見識」 と電話に対して、記者としての説明不足であった反省と真意の理解を いただきたいという文が掲載されたことから、調査された方々がおり、下記の ような解説を送ってくださいましたので、ご紹介します。

《現在継続されている「作沢沼を探勝する会」の実施のもつ意味について》
  小岩清水(探訪、記録、考察)専修大学附属高等学校:地理担当
  鹿野松男(調査支援、記録)八戸工業大学附属高等学校:地理担当
 
 今回の作沢沼の現地探訪調査によって、自然的環境と歴史的人々のかかわり について、ある程度の知見を得ることができた。もちろん短時間の表面的観察 に過ぎないけれども、現在ですら沼を取り巻く自然環境が見事な調和を示し、 これが伐採荒廃前のブナ巨木林という条件であれば、それはまさに完全調和環境 であり、神の鎮座するに相応しい神秘性を示していたのは、疑う余地のない見事な 場であったのが理解できた。
 この見事な調和自然環境をその土地に古くから居住してきた人々や、 それに関わる幾許かの人(30〜40人)が6月下旬に白沢神社奥宮参詣として探訪し、 御神体を敬う神事を執り行う行事が、細々と続けられてきている。それが最初に 触れた新聞記事となり、貴重な自然の保護上の整合性がどうであるかの問題が 発生したのである。
 
 現在の現地自然環境を探訪調査した結果からは、
@三つの浮島は良好な状態で、新聞に表現されているような風倒木の浮力をもとに 浮いているのではなく、あくまで約75cm前後の厚さをもつ泥炭層浮力によって 保たれていること。
Aこの浮島湿原の形成原因。
B沼の排水環境を長期的に安定させた理由が、湿原の発達による調整効果であった。
C現在は、その湿原状態は消滅し、一部が三つの浮島湿原として特異な形で存続 していること。
D排水溝地形は自然浸蝕により、実は微妙な段階に到達し、注意が必要であること。
等々の状態が把握できた。
 
 そのような立場から、作沢沼を探勝する会の活動に考察を加えるならば、 かって古くは山麓に居住し、ここを水源とする熊沢水系に恵まれながら 農業に勤しんでいる人々が、年に一度は水源に鎮座する農業神に詣でて、農作祈願 をしていたものが、農業の衰退と共に、参詣行事が衰退した現実があり、 今改めてその行事を再生させようとしているのであって、参詣行事を拡大したり 地域発展に結びつけようとする意図などは、全くないと受け止められた。
 
 年に一度、6月下旬に沼の浮島に乗って神事を行っていたのは、三つの浮島の中で、 中規模の島であり、かっては小社があって、小さなエンジュの木も生えていた場所 であるという。ここから観察によって、農業神との交流をするのが神主の執り行う神事 であったし、湖畔の高みに当時存在したとされる2間×3間のアオモリヒバ造り の御籠堂で待つ人々は、神事の後の御託宣を聞き、その年の農業指針を得て、下山する。 その参詣行事を聞いて、沼の周辺を巡り、浮島に詣でる事は、神の鎮まる自然に 身を置き、その清浄さによって、それぞれが神の加護に直接触れる行為である だけでなく、周辺の調和環境に変化が生じていないかを、多くの人の視線で、 多角的に観察し把握する事であったと考えるし、その最も注目されていたのは、
(1) 浮島が確実に草地の繁茂に伴う浮力を再生し続けているか。
(2) 東湖畔の排水溝地形が異常に侵食変化したり、作沢の沢に水を落としている 滝の部分の崩壊していないか。
 
 この(1)と(2)を特に注目させるための「神遊び」が、作沢沼の大人たちにとっての 行事だったのではないだろうか。今では、神事と大人たちの行動として分離され、 単なる自然遊びになっているようであるが、ここでの自由に沼を巡る行為そのものは、 大きな意味での作沢沼参詣神事として大切な役割を含んでいたと考えなければ ならないと思うのである。
 
 この立場から、年に一度、浮島を含めて周辺環境に参詣者が与える影響は、極く 軽微なもの(注:浮島に乗って倒木などで押した後に、その棹とした倒木を浮島上に 放置しないこと〜同じく、それらの倒木を浮島の漂う浅い水域に放置しないことなど、 浮島に放置するとその棒の幅と長さ分の植物の生育が阻まれて裸地が発生するが、 これは浮島が小さいだけ留意すべきである。)であり、一方で、もし周辺の 自然条件に変化があれば、気候的変化や地形的変化が確実に把握され、山上にある 湖水エネルギーに対して、山麓の人々の生活を安全に保つ効果があり、少なくとも 夏井地区や樫内集落にとっては、防災上で欠かすことのできない作沢沼・白沢神社 参詣行事であったはずである。これは、今後とも確実に実施していくべき地域行事 であり、広い意味での自然環境理解と防災思想の世代間伝達の民間社会教育である。

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