鹿友会誌(抄)
「第六冊」
 
△川村八十七伝   弟川村四郎稿
 君は川村左學大人の二男にして、母は阿部恭助翁の次女なり、明治八年七月十日鹿角 郡花輪町に生る、資性豁達、学を好み書を能くし、傍ら俳歌を嗜む、其小学校に在るや 、試験毎に未だ嘗て優等たらずんばあらず、二十四年一月上京して工手学校に入り、採 鉱冶金学科を修め、翌年七月十日卒業と共に脚気病及ひ肋膜炎に罹り、郷に帰り、数月 にして癒ゆ、爾後小坂、小眞木等の鉱山に遊て、実地の研究に従事す、
 廿七年十二月、我が征清軍、既に遼東を得、新に臨時測図部を設け、測図手を募る、 測量術を熟知する所の君は、奈んぞ黙止することを得んや、勇気勃々、同月十一日、夜 を犯して郷里を発し、上京して将に募に応せんとす、忽ち病魔の犯すところとなり、遂 に果さす
 
 卅一年二月、花輪町書記となり、勤務中病再び革まり、翌三十二年八月八日午后十一 時遂に没す、君、夙に北海道を開拓するの志あり、故に号して北溟といふ

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