鹿友会誌を紐とく
「第六冊(明治35.7)」
 
△例会
 明治三十四年四月は、例会日百回目を数える。その際に、盛んに祝賀会を開くべしと いう意見もあったが、本会の様に着実を旨とする団体は、町内の若者が祭り騒ぎをする 様な事はしない、また、この会は我郷土鹿角がある限り、東京がつぶれない限りは継続 する会である。もし百会を記念して大に祝せば、百一回・百二回も更に祝さなければなら ない、かくては際限あるべからず。
 結局両説を折衷して、通常の例会にヒゲを生やす程度で楽しく行った。
 
△「鹿友会と鹿友会の例会との区別を述べ、併せて例会に出席を促がす 大里武八郎」
 (要旨:例会は平均十数名であるので……)鹿友会とは同郷の書生が互いに手を取り 合い、相助け励まし、互いに邪路に陥らぬよう気をつけ、各々の志す所の事を果たし、 父兄に安心させ、郷党に模範を示し、間接的には地方の学問を奨励し、後進に便利を与 えんとするものである、鹿角学生の勉強組合である。
 鹿友会は実体であり、例会はその手段方法である。月一回の例会を鹿友会と誤解する 向きもあるが、これは甚々遺憾であり、本会員となったからには、常に鹿友会の一員で あるを意識して欲しい。
 例会に出席するは、会員各自の約束事に基づくものであり、会則は皆で決めた約束事 である。会則に制されるのでなく、また他人に制されるものでもなく、自ら自身を制し ての約束であるのだ。
 幹事はその便を補う為にいるのであり、幹事が亭主で会員はお客様ではない。まして 無断欠席などは言語道断である。
 
 鹿友会誌は、郷里を離れた第二の家庭と思っていただきたい。親密に接し、互いに切 磋琢磨し、成長して欲しい。
 理想を言えば、同郷の者、皆共同寄宿をし、勉学に励むのがいいが、ここでは第二の 方法として、例会をもってその意義を高らかしむることを得る。
 出来得る限り、契約上の義務違反をすることなく、万障を排し、「我あらざれば、例 会成り立たじ」「我は今日の亭主役なり」の気概を持ち、出席される様望む。
 
△「鹿角時事論 川村十二郎」
 (要旨)青年学生の保護奨励をもって、刻下(いま現在)の急務なり。
一、青年学生の為に鹿友会館建設を計ろう。
 鹿角人が社会における一大勢力の根拠地としよう。学生に限らず、総ての鹿角出身 者で頑張り、日本社会における鹿角人の一大勢力をつくるべし。
二、文庫の完成
 貧書生の補助の一端となす。
三、全郡学生の会同一致
 
 結論:会館建設をもって最とする。
 西南各県は、彼等は既に日本に於ける一大勢力であるから、今尚、大いに青年保護奨 励に熱心である。
 東北人は、いかに質朴といえども、将来なお彼等の奴隷たるに甘えてはならない。
 東北人、手を執りて各方面に立つに非ずんば、未だ誇るに足らざるなり。
 
△「雑録」の中から
 金持ちは金の所有者にあらず、管理者なり、世の為に使ふべきなり。
 
 子は父母の私有物にあらず、国家社会の共有物なり。父母はこれを養育し、完全なる 国民として社会に供給する義務あり、子の養育を怠るは国家に対する大罪也。
 
 山水秀で水清し、然れどもその間に住める民、愚ならば山水の美、何ぞ誇るに足らむ。
 
△明治三十五年賛成員二十二名、正員百三名(在郷三十八名・学生三十七名・他就職軍人 四名含む)

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