鹿友会誌(抄)
「第六冊」
 
△詩歌(抄)
○ふる里の七日   正員 石井哲五郎
………
 それとなく月にかすめる松影の むかしかたらん面かけしおぼゆ
………
 いさゆかむさらは一とせいめにして さむるころしも又帰りこむ
 ふり返りふり返り見て故郷の その山かけの雲かくるまて
 
○小川のゆくへ   諏訪富多
散花繁きゆふまぐれ、
歌なまめけき若者は、
柳青う水きよき、
ながれ楽しくこぎ下る。
くれゆく風は静まりて、
花にうたひし百鳥は、
やがて塒に返るらん、
友よぶ声の急がしく。
無心の血汐も湧たちて、
いづこの木かげ遊びけん、
牛ひきかへる牧童の、
柴笛遠くかすみゆく。
 
流れ流る若者は、
千々の誘をそが胸に、
胡蝶の花に狂ふごと、
夢か現か浮べゆく。
行へや如何に遠からん、
行手や如何に難からん、
思ふはあだよ若者の、
たどるは何にか只夢路。
なまめく歌は続かれて、
心ある血は麻痺しぬ、
とる櫂さへも流されて、
いとゞ危き小舟かな。
 
あはれ小川は露しげき、
渓間に清く湧き出でゝ、
自然のかをりいや深き、
緑の苔を流れけり。
花のしがらみせきとめて、
水を湛ふるその宵は、
尊く静かに照すなる、
み空の月を宿しけり。
曙白うそよ風に、
岸の若葉にさゝやきて、
緑の林めぐるとき、
鴬のうたひゞき来ぬ。
 
さはれ流の末遠く、
次第次第に濁り来て、
舷たゝくなみの音、
はかなき夢はさまされぬ。
行手に迷ふむら雲の、
心は晴れて今更に、
力ある血はかへれども、
あゝ櫂はやも流れけり。
流れ暫しも止まらず、
岸につくべきすべもなや、
望も絶えつ気も失せつ、
血汐も冷えぬ心をも。
船もろ共に若者は、
わだつみさして流されぬ、
荒ぶる波の波のまに、
もまれもまれて沈むまで。
明治三十四年五月作
 
○落椿集   哲生
 めてらるゝまゝに匂ひて花椿 落るもしらて春すこすらん
 白波のくたけてちるも花と見えて 太平洋上春暮れんとす
 人のよを渡るにも似て青柳の もつれし枝垂解きつ結ひつ
 花さかりなる頃、独りわひ居て、吉野の花を思ひ出し、折からふるき昔の忍はれて、護 良の宮の吉野落せさせ給ふを
 ちり敷きて路なかくしそ山桜 花に訪ひ来しわれならなくに
 同しく世を歎かせ給ふを
 昔見し花の吉野の春ならは いかに長閑けき御代ならましを
 諸将の心を
 今は死なん死なは吹きちれ山桜 ちりて骸を花に埋めよ
 散るは惜したらねは人にあかれなん 一夜よし野につらき山風
 春雨の夜よめる
 このうきを誰にかたらん友もなく たゞ春雨にぬるゝ袖かな
 さらぬたに思はしけき春雨の ふけゆく夜半にひゝく鐘の音
 垂乳根の心やすめんよしもかなと 思ひふけにし夜半の春雨
 朋と行すゑを語りあひて
 若しもわれ花と咲くらん春にあはゞ 君は胡蝶となりて尋ねよ
 思ふ事成らず嘆きつる時
 大海の行衛しら波うき舟の かひなくはてん吾をいかにせん
 志をふり立てゝ
 富士かねにつもる白雪消えんまては 立てし心をわれつらぬかん
 ますらをはかくそあるへき大海の はて限も沖つ白波
 面影橋
 今も尚朝な夕なにうつし見る 里の小女の面かけの橋
 山吹の里
 ぬるゝともみのなき花をいかにせん 五月雨ふる山吹の里
 藤(友二人つゞいて身まかりけるを 悲みて)
 花房は十尺にたりて紫の ゆかりは長き藤の君かも
 心あらは影はきゆとも紫の 花のゆかりを留めよ池水
 下草の緑の上に紫の 桐の花ちり五月雨のふる
 白き岩に枝をわたして咲く藤の 絵巻の絹ににほふべらなり
 あやめ草花さく頃はいかにして 人のこゝろもさみたれぬらん
 暁は都なからに静けくて 消えゆく星の哀れなるかな
 
○(題なし) けふのや
 波荒れて船は砕けて水底に 沈まば本意よ我は水夫なり
 竹垣の破れしすき間をもれ出でゝ 一輪さきぬ朝顔の花
 今日咲きて明日手折られむ小百合さへ なほ美しく装へる哉
 かへれ子!汝が母君や待ちまさむ 摘みし花をば家つとにして
 嘆かじな愛なる神に抱かれて 自然のホームに我は世を終へむ
 明日よりは又我か夢に通ふらん 日頃なれにし山川のさま
 思はざりし人を一夜の夢に見て 語らひしより恋しくなりぬ
 宵々に我宿のほとり笛ふきて 通ります君のみ名ぞゆかしき

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