鹿友会誌(抄) 「第六冊」 |
△死亡会員 編者曰く、会誌第五冊発行後今日に至るまて、会員の死亡せられたる者、賛成員に四 名、正員に九名の多きに上れり、皆、実に有為の才、本会の専ら嘱望せしところ、今や 幽明境を異にし再ひ馨亥(亥偏+欠)に接すべからす、記して此に至り、筆を投して長 嘆せすんはあらす ○山本祐七君 事志と違ひ、流離艱難を極められしが、去る三十一年六月、宿痾の為め世を奪はる、 毛馬内町本行院に葬る ○川村八十七君 花輪町役場に出勤し、敏腕を以て好評ありしが、三十二年八月、病再ひ革まりて、遂 に起たす、花輪長年寺墓地に葬る ○村山義一君 幼にして秀才の誉あり、小学校に在りし時は、常に級中の首座を占め、郁文舘に於て も成績又優等なりしが、不幸、業未た半に至らすして、肺を患ひ、三十二年九月十五日 花輪町に没す、享年甫めて二十、圓徳寺に葬る 「想起す故人十三氏」 ○石川禎治君 中学郁文舘に在学、勤勉と直実とを以て有名なりしが、去明治三十三年、肺結核に罹 り、薬石効なく、同年八月二十九日駿河台東洋内科医院内に没す、年漸く十九、毛馬内 町仁叟寺に葬る ○井上伊太郎君 秋田に聯隊を新設せらるゝと同時に、同隊付を命せられ、大尉に昇任せられしが、三 十三年十二月一夕病を得、暁を待たすして溘焉長逝せられたり、誠に惜しむべし ○南部康共君 花輪に在りて獣医術を開業せられしが、昨三十四年八月、手術用の刀を揮ひて自尽せ られたり、未た其原因を詳にせす、長年寺に葬る ○山口金吾君 基督教伝導師として山梨県に在りしが、昨三十四年秋、病を得て職に斃る ○成田隆君 職を陸軍教育総監部に奉せられしが、今年二月、病に罹り東京に歿す ○大越英次郎君 去る三十三年、順天求合社中学を卒業し、高等工業学校入学受験中、病を冒して勉強 し、遂に難治の状態に陥り、転地療養も其効無く、今年六月初旬、帰京幾くもなくして 同月廿七日、双親の膝下に永眠せらる、行年二十三歳 |