鹿友会誌(抄)
「第五冊」
 
△亡友紀伝
○勝又啓治君伝
 君は慶応三年五月二十二日を以て、岩手県二戸郡浄法寺村に生る、元と小田島氏、九 才にして秋田県鹿角郡毛馬内の豪農勝又平太郎氏の養育する所となる、蓋し戚縁たるを 以てなり、始め君の毛馬内に入るや、毛髪巻縮皮膚漆黒、而して気風凛然挙止泰峨、見 る者以て奇児とす、君九才にして父母を離れ、二十里の山川を隔絶せる他家にあり、更 に故郷を追慕するの念なきは、抑も已に異人の概念を有するなり、栴檀の異香を発せる なり、資性深沈剛直にして才略あり、毫も事物に動せず、如何に急変の事に当るも深思 熟考、意に決する所なくんば起たず、而して意決す、又人後に出でず
 
 明治十六年七月秋田師範学校に入り、一ケ年にして初等科師範学科を卒業し、教鞭を 執る数閲月、然れとも其学力浅薄教授法未熟なるを憂へ、更に進んで同校に入り、中等師 範学科を修む、業、将に成らんとして学制変更し、級、亦廃せらる、然れども君の熱心 と勤勉とは、空しからすして免許状を得て帰郷せり、爾后地方に教務に服すること一歳 余、品行方正、儼として侵すべからす、愛撫信実惇々として倦ます、真に其器を備へた るものと云ふへし
 果せる哉、名声日に高く、児童の敬慕日に厚く、校舎の風儀日に上がる、十九年九月 勝又氏、娶はすに長女いち子を以てす、君、之により勝又を称す
 
、二十年徴兵適齢に達す、体格の検査を受くるに及んて合格、 甲種に当撰す、其十二月を以て青森営所歩兵第五聯隊第五中隊に入 営す、発するに臨み、生徒別を惜み、其行を郊外一里余に送る、君の営内にあるや、常 に能く上官に敬服し、風儀を保維し、規律を堅守し、同僚を補佐し、一意軍務に従事せ るを以て、他の亀鑑と為すに足る、是に於て精勤証を与へらる、二十二年十一月、更に 下士適任証を得て、満期帰郷す
 
 幾くもなく陸軍歩兵二等軍曹に任ぜらる、君、郷に帰るや直に身を実業界に投じ、又 他を顧みず鋭意励精、実に余念なかりし、現に君か着手せる一号耕地は、三町歩余にし て、二号耕地は十五町歩の上に出つ、而して一号地は全く整頓し、二号地亦半ば緒に就 く、晨起結束僕婢を指揮し、殆んと日の没するを知らざるに至る、人以て狂と疑ふ、君 か金蘭の友、一日其思想を変するの不可を詰る、君笑て曰く、
 分業は文明の度に伴ふものなり、予は分業の益緻密に行はれんことを望む、若し夫れ 、教育に至りては兄等のあるあり、亦意に介するに足らず、只怨らむらくは地方の青年 、文明の外層を速了し、虚飾華美に酔し、得々として無責任の言論を弄し、世の所謂紳 士を気取るを知れとも、更に内層を看破することを知らず、甚だしきは実業を目して卑 猥なり、下等社会の業なりと漫言して、揚々たるものゝ如し、故に予は心密に期する所 あり、希くは素望を成さん、兄宜しく教育を分担せよ、
と、益心を之に傾く
 
 偶々征清の挙あるや、二十七年九月、君も亦召さる、大に喜んで曰く、
 時なる哉時なる哉、予か伎倆を試むるの時到れるなり、事業が未だ成らずと雖も、之 れ一私事なり、以て公事を妨ぐるの価値なし、
と、其計画を友人某氏に語り、敢然として起つ、発するに望み衆、効外に別を惜む、其 光景蕭然として天地も為に静かなり、只時々、無事無事の語を聞くのみ、君、平然とし て曰く、
 幸に軍に従ひ、渡清を得ば、決して諸君に不満足を与へず、
と、意気軒昂、遂に辞し去る
 
 而して本年一月を以て、渡清し、朔風凛烈、軍中凍傷を患ふるもの多き間にありて、健 全たること石の如く、山東の野に転戦し、敵の根拠地たる威海衛を剿滅せり、尋て炎威 赫炳石、尚ほ鑠くるの際に当り、盛京省の守備を全うし、横風沐雨、加ふるに悪疫暴行、具 さに百難を嘗む、
 八月に至り、更に征台の軍に入りて進軍す、瘴癘熾甚、土匪出没の間、大沽陥を守備 す、先是君、陸軍歩兵一等軍曹に陞任す、十月に至り台南府蕩燼の命を蒙る、於是進で 布袋嘴を衝き、王爺頭に激戦し、長駆して霄瀧を襲うふ、霄瀧は天然の要害に人工の堅 を加へ、三凧の竹細を設け、各部落に塹壕を繞らし、敵の精騎三千、之を死守す、蓋し 台南府存亡の機、賊魁劉永福、生死の運、此地に決するを以てなり、我軍至る、亦攻む べからず、之を陥る、必す先つ竹柵を除去せざるべからず、然れとも敵は柵内の壕中に 潜伏し、乱射、近べからず、而して日を空うせば、台南包囲合撃の期に後る機一髪、全 軍の栄辱咫尺の間に係る時に、君、憤然呼て曰く、
 我能く之れに当り、以て地下に瞑すべし、衆中、之れを能くするものあらば、我に従 へよ、
と、銃鎗を奮ふて、竹柵に迫る、敵は柵内約十米突隍中にありて、弾丸雨の如し、君、 竹柵に近接し破壊を試む、偶々敵丸、君か左胸を貫く、君、衆を麾て曰く、
 我事終る、部下に我れか志を継くの士なきや、皇恩に報するは今なるぞ、
と、励声一番す、部下に三勇士あり、何者の賊漢か、敢て分隊長を射る、汝等の胆を挫 かざれば惜かずと疾呼して、竹柵に迫り、急激終に之を破壊せり、我軍、尋て敵軍悉く 潰走す、后六時、軍を収めて露営地に附くに及び、君、気息潺々として担架に依りて運 ばる、竹柵破れ敵陣陥るを聞き、台南を見ざるは遺憾なりと述へ、四時四十五分陛下万 歳を三呼して閉目す、年二十有九、嗟惜い哉、
 
 此戦、君実に全軍の為めに一身を犠牲に供するもの、其功績の如きは、千歳不朽と云 ふべし、出師以来、君が戦死の如きは、多く其比を見ず、真に名誉の死と云ふべし、玉 となりて砕けたりと云ふべし、凶報の郷里に達するや、一郷蕭静哀惜悲悼の声、相連な る(内藤練八郎君寄稿)

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