鹿友会誌(抄)
「第五冊」
 
△亡友紀伝
○石川伍一君伝
 君、実に明治廿九年九月十九日を以て、難に天津に死せり、蓋し我が軍事偵訪者が清 吏の手に戮せられし者、前後十数人に下らず、而して君其の首たり、
 君は陸中鹿角郡毛馬内の人、父儀平君、少より四方の志あり、事心に違ひ、中年に及 んで家産を蕩尽し、移て東京に居る、
 
 君、慶応二年五月を以て其郷に生る、九歳盛岡に遊び、仁王小学校に入る、十四歳東 京に出で、芝の攻玉社に学ぶこと三年、既にして下谷の島田篁村の塾に入りて漢学を修 む、明治十六年興亜黌に入り、清語を修む、
 翌年上海に趣き、海軍大尉曾根俊虎に随ひ、清語を修め、兼て清国の事情を討査す、 時に十九なり、翌年天津を経て北京に趣き、廿二年北京公使舘付海軍大尉關文炳、資を 給して内地を漫遊せしむ、蒙古の境より西南下して洛陽長安の故都を過ぎ、嚢陽より卅 を賃して漢口に達す、
 嘗て上海に在りて暫らく樂善堂に寓し、又荒尾精と同く雑貨舗を漢口に開き、賈事に 因りて四川の重慶に至る、行々地理を察して之を図写し、清吏の疑ふ所と為りて獄に投 ぜらる、弁疏して免るゝことを得たり、
 
 廿三年一たび帰朝し、同年又關大尉に従て北京に趣き、燕趙の間に遊び、又大尉が清 国軍事訪察の事を幇助す、廿五年大尉の郵船出雲丸に搭して帰朝するや、路を朝鮮に取 り、風波に遭ひて覆没す、
 君は則ち上海を経て帰るを以て難に羅らず、海軍参謀部の嘱託を受け、大尉が報告を修 纂す、同年海軍少佐井上敏夫が北京公使舘付となるや、又君を拉ひて而して行く、今年難 起るや、井上少佐命を受けて帰朝す、君は則ち独り留まりて、敵情を密偵し、之を本国 に報ず、かの豊島の役の捷は、実に君が報に因りて成る所と云ふ、君も亦此を以て遂に 免がれず、年二十有九(湖南生識)
 
 今年四月、官、君か功績を賞し、遺父儀平氏に賜ふに金壱千四百円を以てせり。
 
 左の一篇は、君が同志某氏の識す所載せて、日本新聞にあるものなり、附記して君か 行状の一斑を知るの資となす
 
 君、姓は石川、名は伍一、士統と号す、清国に在るの日石士統と称す、人と為り謙謹 譲敕、平生人と争はず、周到事を処し、荘敬の身を持す、容貌温和、一見凡庸の人の如 し、然れとも一旦大事を論するに当りては、侃々諤々勇往果敢の気勃々、人に逼る学、 漢洋に通し、兼て詩文を属す、夙に意を亜細亜の大局に注ぎ、隣邦の滓渣を廓清し滅を 興し絶を継ぎ、帝国の為に西方の藩籬を理し、東西百年の長計を定むるの志あり、明治 十七年を以て清に遊ぶ、爾来困蹉它(足偏+它)時事心と副はす、卓抜非常の志を抱て 、空く窮途に沈淪し、心を以て形の役と為す者、蓋し又た年あり、一日余に語りて曰く 、
 大事を成さんと欲せば、須らく先つ大局の形勢を明にし、然る後手を下さゞるへから す、吾今より禹域の全部を周遊し、民情の淳育(三水+育)、地勢の通塞、政治の得失 を詳察し、他日有為の資に供せんと欲す、君以て如何と為す、
と、余、大に之れを賛す
 
 此よりして後、直隷、山東、山西、狭西、四川、湖南、湖北、江西、安徽、江蘇の諸 省を漫遊し、武漢の地に留る、一年余去て又た四川の遊び、同省の全部を周歴し、屡々 危険を冒して苗族割拠の地に入り、探検至らざる所なし、後再び湖南に遊び、長沙に至 る、半歳余当時我党の士、所在に屯集し、大に中原の経営を画くに当り、君、実に一方 の重寄に任じ、黽勉怠らず、事を処する毫も遺算無し、我が交友中、君及び平戸の浦敬 一(伊犁に入りてより死生詳かならず)、肥後の廣岡安太(雲南苗族の地に遊んで、終 に還らず)の如きは、当世の稀れに見る所なり
 
 明治廿三年春、余と共に帰朝す、幾くも無くして君、又た清国に遊び、天津、北京の 間に淹留す、
 明治廿五年、事を以て帰朝し、次て又天津に遊び、某氏の家に賓たり、時に余、楚北 に在り、君常に書を致して、戯れて曰く、
 食客八年、信陵と孟嘗とに遇はず、笑ふべし
と、
 昨秋王師の罪を清国に問ふや、君留りて天津に在り、施設する所多し、余、山東より 往て、之れを訪ふ、小留の後、辞して齊の東に遊ぶ、別れに臨んで、君、余に語りて曰 く、
 知らず、何の地に於て再び君を見ん、

 
 当時、天津の地、軍務旁午警戒、頗る厳なり、余、窃かに謂へらく、
 此人、再び我を見る可からず、我亦、此人を見るの期、無からん、
と、悄然として相別る、後数十日を出てさるに、君、天津に捕はれ、延て九月二十日に 至り、終に府城の西門外に斬らる、痛恨何ぞ堪へん、嗚呼臨別の一語、識を為して吾 れ復た君を見るべからず、君が天津に在るや、軍国の為に力を致すもの頗る大なり、軍 、興りてより、今日に至る迄、我が同志の士、軍事に殉する者十数人、躯を損て公に奉 ずるの忠誠に至りては十余人の者、未だ曾て異る所無しと雖も、君は実に其の先輩にし て、其首魁たりしなり、余、将に他日を待て君の伝を撰び、大に天下に表彰する所有ら んとす、君死するの歳三十

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