鹿友会誌(抄) 「第五冊」 |
△吾か尾去澤村 郁文堂三年生 正員 内田守藏 ああ吾か故郷、嗚呼吾か故山、覚ては幻、臥しては夢、週日終夜、恋々忘失消滅する こと能はさらしむ。嗚呼故里の草木何そ奇花を開かん、故郷の山水何そ異色を放たん、 然り而して眷々止む能さらしむ、是れ何たる所以に帰するか。 鋭々三軍の陣中、岑参をして、憑添両行涙寄向故園流と云はしめたるは何そ。欝々愁 夜李白をして、仰頭望山月低頭思故郷と云はしめたるは何んそ。是れ皆故郷。誰か故郷を愛慕せさ らん、春日花を見て思ひ、秋夜月を望て懐ふ、之れ人情の然らしむ所、僅々数里の外に あり而して且つ然り、況はんや吾人に於てをや、日夜恋々、一年一回の夏暇を待つ、亦 宜ならすや。 蓊欝たる彼の茂林、突兀たる彼の山岳、滔々たる彼の川、和気靉々たる破舎、之れ皆 な吾か十有余年来経過せし所、何そ帰を願はさらん。願て而も帰らざるは、只後来の大 望を成行し、以て人生の人生たる所以を全し、空しく櫪間に辱死せさらんを欲するある のみ。 此に吾か親愛親敬なる同郡学兄の組織したる鹿友会なるものあり、毎月一回茶話会を 開き、共に談し、終日の楽しみをなす、之れ生か帝京にある第一の楽しみとす。今や此 の会、例により会誌を発兌せんとし、諸兄競て玉文詩句俳歌をのせらる、故に生も身の 不肖を顧みす、生か、日夜忘れんと欲して忘れ能はさる、我か里の況を挙けんとす、諸 兄幸に不文を笑陀するなく、尊眼を辱うするを得は、栄誉之れに加ふるなし。 ○沿革 中古以前は、史伝貌(之繞+貌)漠として文献の徴す可きなく、中古と雖も、亦詳な るを得す、然れとも我鉱山は、二百余年前より採掘しつゝあるや疑なきなり。抑も本村 は、旧南部領鹿角郡に属せり、而て本邦、浦賀一発の声砲と共に長夜の眠を覚して、封 建政治変して郡県政治となるに及ひ、江刺県に属せしも、明治六年、更に秋田県に属し 、明治二十二年、市町村制実施に際し、尾去部落、尾去澤鉱山部落、三矢澤部落を合し て、尾去澤村と称し、村役場を我尾去澤鉱山に置けり。 ○疆域地勢 尾去澤村は、鹿角郡西南に位し、東は米代川を隔て花輪町に対し、西は北秋田郡に界 し、南は本郡曙村大字松谷に連り、北は錦木村大字末廣に隣し、広袤東西凡そ一里半、 南北一里余、周囲約五里余とす。 ○地質 山嶽丘陵起伏するを以て、平地少なく、地味は概して疲瘠なれとも、鉱脈は金銅に富 み、耕作も亦中等に位す。 ○気候 極暑華氏九十度、烈寒十五度に達し、年の半は白雪皚々絶ゆるなく、十月下旬より翌 四月下旬に及ふ。 ○戸数人口 七百五十余戸、四千百三十余人、大別すれば、尾去澤鉱山、六百廿余戸、男千六百六 十余人、女千五百六十余。三矢澤、四十余戸、男百二十余人、女百余人。尾去、九十余 戸、男三百五十余人、女三百五十余人。 ○鉱山 澤鉱山、丈物鉱山、吉澤鉱山、上山鉱山の四とす。 ○学校 尾去澤尋常小学校、仝赤澤分校、尾去尋常小学校、田郡尋常小学校、仝三矢分校(三矢澤分校?)の 六つとす、而て四百有余の児童、名師の下に汲々として、学ふ之れ我郷最一の宝となす 、古人言ふ惟仁以て宝となすと、只惜む高等科の設なきを。 |