鹿友会誌(抄)
「第五冊」
 
△史伝逸事
○關良輔伝   正員 川村八十七
 名山大澤一偉人を生す、關良輔と云ふ、幼名熊之助と云ひ、小田島右平太の第一子也 、母は原田氏、二戸郡福岡の人、某の女なり、
 寛政十二年庚申年を以て、鹿角郡花輪に生る、幼にして魁悟奇偉、好んで石を抛ち、 又川を跳ねる、
 嘗て秋、畑を検按し、其(草冠+其、まめがら)積んで、之を火す、農夫、惜て之を 詰れは、則ち笑て曰く、敵、城を焼滅するのみ、と意気頗る昂然たり、
 壮に及んで身長六尺三寸、力量庶衆に超え、五間階子の一端を握り、能く之を揮る、 今同郡小豆澤村大日堂の屋根に掛在るもの、即是なり
 
 十七歳の時、二戸郡浄法寺村關與茂七の養子となり、下斗米秀之進(後相馬大作と改 む)に就きて、兵書武技を学ひ、其奥を極め、殊に柔槍の術に精達す、
 嘗て槍を提けて四斗俵を飛すや、恰も鞠を玩ふか如し、又大日堂に遊び、一躍十五尺 、能く神殿の屋根に上りきと云ふ、
 又嘗て冬日、来満の山中に狩し、偶々老熊に出会し搏撃、遂に之を斃せしは、今尚郷 人の伝説する所たり
 
 文政四年四月、師に従ふて津軽侯を秋田六郷河畔に撃ち、事成らすと雖も、天下、為 に震駭す、津軽侯、遂に致仕し、十年の素志、稍貫くを得たり、同月、師と共に江戸に 来り、徒を集め、武を講し、出入り甚戒めず、然れとも幕吏、其勇威を憚りて迫らず、 詭計を以て之を捕へ、翌年八月廿九日、大作を梟し、良輔を斬す、良輔、時に年廿三歳 なり、生家に二妹あり、長は同郷井上才助に嫁す、良輔就刑の後、同郡毛馬内勝又某の 三男久米之助を次ぎに配す、即小田島隆次郎の祖父也
 
 噫、良輔の行、縄墨を以て率すへからすと雖も、紀風敗頽軽浮柔情を極むるの時に於 て、名声を求めず、師恩に背かず、従容死に就く、亦烈士たるに恥さらむ歟、白日霹靂 を起し、匹夫侯伯を攻む、回天の事業、半途に蹶くと雖も、亦英雄たるに幾からん歟

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