鹿友会誌(抄)
「第四十五冊」
 
△田中傳吉君経歴(附追悼記)
  追憶記
 君は鹿友会員としては、賛助員であって、客体を以て遇せられて居た人だ、従来鹿友会は、 高等の学校を卒業して、何にか高き地位を占めた者のみを重視し、又は何か経営の成功者のみを 謳歌するが、郷土にありて数十年の長きに亘り、始終渝らず公共の為めに貢献せし人々をば、 余り讃へるとか、表彰するとかの点に遺憾あり、是れは鹿友会は、六十年の歴史あるも、 未だ郡内各町村の隅々迄で其の存立を知られず、其の会の性質を認識せしめざる所以かなどの 警告を聞きたること、一再ならざりしが、偶々田中傳吉氏の御不幸を大きく取上げて、従来の 批難に是正を与ふることにいたしました。
 
 君は学校に依りて作られた人でないが、其の文章でも筆跡でも意見でも、高等の学校に学びて後、 修養を怠りたる者などの到底及ばざる実力の所有者であった。君と語れば、学校教育の無価値を 思はせられること数々であった。君は実に世界といふ大学校を、独力を以て優等で卒業した人で あった、其の剛腹な正確は、押の一手却々の強者であった、ゆえに毀誉相半ばするものあったが、 此の迫力を中央に試みさせたいものと、思はせるものはあった。前記の経歴で見て、其の長き 郷土に貢献せることを思ふて、今日の制度に斯る人を表彰する何等かの方法の欠けて居るを 遺憾と考へせしめられた。
 
 官界とか実業界とかに時を得、所を得て居る人々は、生活を与へて貰ふて財産を蓄へさして 貰ふて、尚ほ其の上に勲章を頂くとか、退職金を貰ふといふ、一石二鳥の幸福に恵まれるが、 田中氏の如く、三十年も各種の公共事業に功績ある人に、何等の表彰の制度ないとは、遺憾なもの である。町村の為めに大いに犠牲的貢献尽力多年に及び、其の功績真に滅私奉公的であった人には、 其の町村の人々は、其生前の功績を検討して、十分の謝意を忘れてはならぬと、警告するものである。
 
 田中傳吉君の花輪町に於ける存在と、其の功績とを如実に吾人に告ぐるは、淺利町長の弔詞なり、 依て其の全文を添へて、補遺とす。

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