鹿友会誌(抄) 「第四十五冊」 |
△病後の信一郎様 八月には私の家内は、娘と孫とを伴って郷里に御盆参りに行って来た。夏に帰郷したいといふ 君はどうしたのか、一向消息は判明しない、家内が帰京すると直ぐ君を訪ねさせた処が、又も意外な 事は起きて居ったのである、君は膿胸で帝大病院都築外科に入院したといふのである。 早速都築外科に家内を見舞はせたが、治療の為め肋骨を二枚切り抜いたが、其後の経過良好で、 至って元気であると聞いて一と安心した、当時君に左記の句はあった。 あばら骨秋風に二本飛び散ったり 十四樓 秋風や体重十三貫四百目 秋風や荒るゝまゝなる庭の面 九月も末となった、朝夕の寒さは病む身にしみる期節となった、君にも左の句は出来たのである。 朝寒や厠に通ふ長廊下 十四樓 この室で人の死にゆく夜寒かな 車(虫偏+車、こおほぎ)に病院の夜は更けにけり 月明といふ声をきくばかり也 十月に入ってからは、来客其他で家内も忙はしく、長いこと御見舞も出期ずに居ったが、花輪の義弟 薫様は上京したので、家内は薫様を案内がてら半ケ月振りに帝大病院に見舞った、帰ってからの報告は よくなかった。最近だんだん食は細り、衰弱は加はる一方だが、医師は輸血をすゝめるが、本人は嫌やだ といふので、殆ど滋養注射だけで保って居るとのことである。輸血の食慾増進に効果のあることは私の身を 以て実験したことであるから、医師のすゝめに従て輸血すべきことを忠告してやった、其後輸血も したらしいが、一向に食慾は無く、日々衰弱する一方であったらしい。 十一月十一日、遂に君の危篤の電報に接したのである、直ちに家内は駆け付けたが、無論逝ったのである。 享年五十八歳。 君と私との交際は無論、金の交際でもなく、地位の交際でもなく、全く利害得失を超越した魂との交際、 裸同士の交際であっただけに、君の逝去は私には格別に打たるゝものはあった、泣けてなけてたまらなかった、 「余り深く行かずに、地獄の入口で待って居て呉れ給へ 私も何れ長いことは無いと思ふから」とは、 当時私の君に対する心の呼び声であった。 晩秋の雲君天に昇るかや 莞子 訃報聞き俤偲ぶ夜の寒さ さなきだに寂しき秋よ君逝いて 壺を送る上野の駅は冬めきぬ 君還り都は秋の雨止まず
(終り)
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