鹿友会誌(抄)
「第四十五冊」
 
△病後の信一郎様
 四月も過ぎ、五月に入って大分元気も恢復とたらしく、そろそろ帰京の心準備をして居る らしい、五月十四日のハガキに、
 
 此頃めきめきと丈夫になりました、もうすこし飽きてきまして、二十二・三日頃までには 帰京したいと思っています、昨十三日湯元吉池を訪問云々
 池の間の一号室や庭若葉 十四樓
 池の奥若葉にかくれ見えざりけり
 陽がさせば明暗ありて若葉かな
 山清水すぐ池となる若葉かな
 庭若葉人語もるゝは何処ならめ
 池に沿うて若葉の小径行くもよし
 若葉山灯す家のありにけり
 
 熱海から帰ったとて私を訪ねてくれたのは、六月の初めであった、朝から晩まで終日、約 一ケ年振りの積る話しは尽きなかった。病後の疲れとは謂ひ、一ケ年前の君とは見違ひる程 老へたるかなと思はれた。此時、私の「臥龍帖」に左記一句を書いて行かれた、之れは最後の 別れとなるとは神ならぬ身の知る由もなかった。
 
 閑けさや蚊の鳴く声とペンの音 十四樓
 
 其後上野公園に散歩したといふハガキに「此夏には郷里に帰って見やうと思って居ます」と あって、左記の句を附記してあった。
 
 ふるさとの山河なつかし田植唄 十四樓
 
 元気で居るらしいので、悦んで居った。

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