△和井内貞行氏
十和田湖の主 和井内貞行翁(毛馬内出身)
和井内翁を解説す(漁業家)
生を鹿角に享けた人物中、死後千歳の名を縦にするを得るは、唯た一人の和井内翁に
過ぎざるべし、翁の為人及び其の経歴は、鹿角人としては余りに多くを詳知し、敢て禿
筆を呵して絮説を要せさるべしと信ず、次の翁の伝記は既刊二書より抜萃せるものなり、
鹿友会は赫々たる戦果の大東亜聖戦の年を記念すべく、茲に鹿角産業人列伝号を刊行す
るに当り翁及び其の他の功績を表彰し子孫に伝へんとするもの其の主旨那辺にあるか、
六百会員の玩味を乞ふものなり。
翁は人間は成功したならば斯くあるべしといふ手本であり、成功に力行する心構へは
斯くなかるべからすといふ模範でもある。営々役々三掻きを以て子孫の為めに美田を買
ふを能事とする者には、翁の心事は解せられざる程に高尚のものなるべし、其の東北地
方大凶作に、未た成功半途の鱒の漁獲を許して湖畔の住民を救恤するなど、我利の輩に
は馬鹿とより思はれざる神の如き好意である。其の家訓十箇条の如き、事業家の心得と
して座右銘とすべきものなり、死して神に祭らる又所以ありといふべし。
十和田湖開発の大恩人 和井内貞行翁
和井内翁の生立
和井内家は佐々木氏の後裔で、代々南部家に仕へ、もとは閉伊郡内の数郷を領してゐ
たが、代百十一代後西天皇の明暦三年(第四代将軍徳川家綱在職中)以来陸中国毛馬内
の領主櫻庭氏の家老の筆頭として明治維新の際に及んだ名家である。
翁は和井内貞明(通称は次郎右衞門)の長子で、第百二十一代孝明天皇の安政五年二
月一五日(第一三代徳川家定在職中)毛馬内町柏崎の本邸に生まれた。幼にして同町の
儒者(泉澤恭助)に就いて漢学を修め、明治七年毛馬内小学校の創立と同時に其の職員
となった。時に年は十七歳。こゝで教鞭を執ること数年にして、明治一四年十二月工部
省小坂鉱山寮の吏員に転じ、十和田支部詰を命ぜられた。同十七年に至っては政府は其
の鉱業権を合名会社藤田組に譲渡した溜、キ那はこの時からは藤田組の社員となったの
である。
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