鹿友会誌(抄)第四十四冊 特別発刊「鹿角出身産業家列伝(第一輯)」 |
△高P市松氏 氏の祖先と今日家憲の遠因 和銅年間南部藩ニテ尾去沢鉱山ヲ開発セル当時ヨリ数代ニ亙リ同鉱山ニ重要ナル役ヲ 仰附カリ勤務セリト聞ク、又数代前ノ人ニ大酒ヲ好メル人アリ、成年ノ暮大晦日ニ支払 フベキ公金ヲ大酒ノタメガ因ニテ紛失ノ危ニ遭ヒタル所私財ヲ以テ之ヲ無事弁償セルコ トアリ、之ハ親籍ノ某氏ノ詐取セルコト判明シタルモ事公ナルヲ恐レ不問ニ秘メタリト 聞ク以上ノ事アリテヨリ以来絶対ニ酒ヲ絶チ尚禁酒ヲ家訓ニ加ヘタリト言フ、以後今日 ニ至ル迄家訓四十八条ノ内 一、堅実ナルコト 一、、慈悲深キコト 一、酒ヲ飲マヌ コト ノ三ケ条ハ特ニ実行シツツアル次第ナリ 斯クシテ明治維新前ニ禄ヲ返上シテ平民トナリタルモ祖先遺物若干ハ記念トシテ今 尚現存す 先代権太郎ハ尾去沢鉱山ガ三菱合資会社ノ経営ニ移リタ時共ニ会社ニ勤務シ五十年間 無事勤続ス、先祖代々ノ墳墓ハ秋田県鹿角郡尾去沢鉱山字田郡ニ在リ菩提寺ハ同郡花輪 町浄土宗圓徳寺(現住職齎藤一導師)ニシテ本山ハ芝増上寺ナリ 又氏の家庭は次の如く、其の子女は皆相当の教育を授けられつつあり、氏常に曰く、 余は家に余財を蓄へすと雖も、子女は皆独立自営其の自力に依りて、生活し得るやうに 教育せるのみ、徒らに財を与へて自存の力を失はしめたくないと思ふ子女をして自恣心 の欲する欲望を与へて子女を誤るは余の欲せさる所なり。 先々代 高P與兵衛 明治十九年八月七拾弐歳ニテ没ス 法名 良勤院堅相實道居士 先代 高P権太郎 大正十一年七月七拾四歳ニテ没ス 法妙 恭徳院高譽寶林欣淨居士 現戸主(権太郎長男)高P市松 明治廿一年十一月五日生 原籍 秋田県鹿角郡尾去沢町尾去沢鉱山字田郡二番地ノ十六 右地ニ代々ノ家屋現存ス 現住所 東京市足立区千住曙町五一番地(家屋ヲ有ス) 明治卅一年上京錦城中学卒業後採鉱冶金学ヲ修め尾去沢鉱山、古河鉱業足尾銅山及 山形県、石川県、岩手県、長野県等会社及鉱山ニ勤務シ途中大正二年七月東京簿記専修 月光商業科ヲ卒業ス 長野県大倉組鉱業所ニ勤務中前田家ト縁組ス大正六年ヨリ現在迄株式会社前田鐵工 所取締役トシテ勤務 亡妹(権太郎長女)レイ 故石井吉太郎氏ニ嫁シ昭和三年四十二歳ニテ病死ス、石井 氏ハ新潟県北蒲原郡新発田町ニ原籍ヲ有シ元足尾銅山製煉係石井倉吉氏ノ長男 妹(権太郎次女)ナミ 山田喜一郎氏ニ嫁ス 山田氏は秋田県山本郡藤琴村一ノ渡農四郎右衞門氏ノ次男ニテ現在株式会社前田鐵 工所ニ勤務ス 妹(権太郎三女)リヨ 高P喜四郎ト養子縁組シ分家ス 妹(権太郎四女)トミ 前田濱五郎氏ニ嫁シ昭和八年十月四十一歳ニテ病死ス 妻 とり 明治廿六年十二月四日生大正元年十一月入嫁ス 前田彌市氏及前田濱五郎氏ノ妹ニテ長野市石坂裁縫学校卒業 長男 剛市 大正三年四月廿八日生 昭和十四年三月日本大学法学部卒業東京製綱株式会社ニ入社勤務中昭和十五年二月 十日入営 長女 テル 大正四年十一月廿七日生 昭和十三年津田英學塾卒業目黒女子商業学校英語担任教師ヲ奉職昭和十五年三月三 十日松田輝雄ニ嫁ス同人ハ銀座資生堂本店財務部主事トシテ勤務中 次男 敏夫 大正七年十月三日生 昭和十六年二月専修大学経済学部卒業昭和十七年二月入営 次女 富子 大正九年六月廿二日生 昭和十三年三月潤徳高等女学校卒業東京高等洋裁学校本科及研究科ヲ卒業東京洋裁 技芸学院卒業現在ハレデイス洋裁学院本科ヲ卒業シ同院研究科ニ通学中 三男 正夫 大正十二年四月五日生 昭和十六年三月足立中学校ヲ卒業同四月日本大学予科ニ入学現在二学年ニ在学中 四男 晴夫 大正十四年三月一日生 昭和十七年三月足立中学校ヲ卒業同年四月千葉医科大学臨時附属医専ニ入学現在一 学年ニ在学中
(昭和十七年五月記ス)以上
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