鹿友会誌(抄)第四十四冊
特別発刊「鹿角出身産業家列伝(第一輯)」
 
△佐藤忠彌氏
 
九、現在の佐藤工場
 氏の伯父佐藤清次郎氏は、是れ迄で九州大牟田の旭電化の次長として時処位を得て居 りしを、氏は再参三顧の礼を九州に致して迎ふるに専務取締役の重責を以てし、寄与次 郎氏は父は子の事業を援助するの親心の心境を以て、甥の事業を育み培ふて余念なく、 今回の増資一百万円も専務の力量を発揮せるものなり、且つ専務は氏に対し社長学の講 師でもある。専務は氏より勿論年長者である、其の百年の後氏をして名社長たらしむる もの専務の親心なくば能はす、会社の実情を知るもの皆斯く専務に期待しつつあり、専 務の法律顧問として矢張り親戚関係ある弁護士鈴木由彌氏あり、最高政策は実に専務と 鈴木氏の合作と称せらる鈴木氏の佐藤工場に於けるや、実に九鼎大呂の重きにあり。
 
一〇、結論
 氏を識る者の中に、氏を評するの声に二種あるが如し、其の一は氏は最早大会社の社 長として成功せる今日に於いては今少し威張らせよといふものと、其のニは氏は今日当 さに粉骨砕身すべき時であると、其の一については元来は氏の性質謙虚の致す所に依る もの氏は曰く、余の今日あるは従業員社員各位の協力の賜物である、余より見れば恩人 である、且つ余は尚未だ従業員社員に報ゆるに、天下第一の諸会社の厚遇福利を以てす る能はす、尚ほ多くの遺憾を感じつつあるものあり、斯く考ふるに如何にして従業員社 員に、自大自尊の態度は示されませうかと、是れは氏の一に対する腹である、其のニに ついては伯父でもある、専務に安心してお任せして、其の閑暇を利用して見聞を広め、 視界を大にし修養に資せんとするもので事務の如きは余の過去の経験にて多少知る所あり、 今日は余の従来の経験に乏しきものを補ふ自大である。之れ現在の余の勉強なりと前に 氏を温厚の人と述べた、全く怒ることを忘れて生れて来た人かと疑はるる程に怒らぬ人 である。給仕は氏のズボンの上に茶を滓すの過失をしても怒らずに、淳々将来の過失を 戒めて止む人である、之れを以て氏の本領と速断は出来ぬ、一旦平素の忍耐は破れると、 前後の弁へもなく発火する正確の人であると聞く、其の性質を平素巧に包んで現はさぬ 所に偉い所ありと評すべきである。
 
 氏は頗る情誼に厚い人であることは特筆に値へする、氏は弘前五十二連隊入営中は、 一兵卒に過きさりしならんに、時の連隊長二子石中将に敬意を表すること父の如く、 中将も又氏を見る子の如く、其の情景感動せしめられるものあり、是れは氏の人情味の 片鱗にして何人に対しても此の情味を失はぬ人である。昔し同しく兵隊生活せる者にて、 来たり氏の情誼に幸福となりつつあるものもあり、以て氏の為人を窺知するべし。
 多年の練成時代に体得せる氏の明智はも、氏と能く久しく交際せば、却々醍醐味の豊 かなるに驚くことあり、決して一の木強漢にあらす、槍縦自在の所もあり、又端睨を許 さぬ点もある人なり。
 氏は社会事業に趣味のある人である。深川枝川町の青年学校の校舎の空時を利用して、 無月謝の幼稚園を経営の認可を得て、不日開園せんとして居る。支那事変発生し鹿角 にも鰥寡孤独の不幸なる人の出つるべきを考ひ、養老院の如きものを建てんと計画した ることありたる程なり、其れは必要なしとの意見によりて中止せるも、老後には何等か 郷里鹿角の為めに、其の持てる者の奉公の義務を尽すであらうと刮目して待たしめらる るものあり。

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