△淺利佐助氏
花輪醤油をして今日の声価を得しめたる人
初代 淺利佐助翁(花輪出身)
浅利醤油の想出
日清戦争以前と記憶す、当時尾去沢鉱山の役員の各家庭では、一ケ月に三合か五合の
千葉の醤油といふ、上等醤油を売場より配給せられ薬の如く大切に、刺身か浸物にのみ
使用した、おいしい醤油を買ふて置いて、日常の煮物などに使ふ醤油は、まづい物を買
ふて居た。其れは幾年かの後には花輪浅利の醤油と称する醤油は出現して、千葉の醤
油は駆逐せられて、総ての調味料として浅利醤油は登場するに至った。其の当時尾去沢
の売場役員などの話には、浅利の醤油は千葉物に劣らぬ風味等は全く同じである。能く
もアレまで品質を高めたものぞ、浅利は将来大繁昌しますよとの話を聞いたことは数々
ある。其れは今日の浅利の醤油の発展以前の鹿角の醤油界の有様である。産業人一人の
刻苦力行は、単に其の人を幸福にするのみならず、其の土地を有名にする、浅利翁は郷
土を出です郷土で成功した。満洲北支又は西南太平洋の空に飛躍の雄図を空想するす
るは、吾人敢て阻止せず、乍併大切の郷土を忘れては、賛する能はさるものあり、活眼
を瞠て翁の如く脚下を凝視せよ、郷土に又々成功すべき事業あるかも知れぬ。鹿友会は
今回産業人別伝号を刊行するの意は、活眼を以て活書を読めとの警鐘ともなればなりと、
各産業人の経歴を集めて活書として会員に供したる真意を忖度せられば幸なり。
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