|
鹿友会誌(抄) 「第四十三冊」 |
|
△記念資料(其の一) 記念アルバム資料の二なり、仄聞するに氏は幼時大々的の乱暴者、其の暴れ者の真価を 善用して、今日の成功せるものと云はる、暴れ者も又貴い哉。 ○鹿友会員にて海外にて成功しつゝある人和井内貞三氏 秋田県が生んだといふよりも寧ろ、産業東北が持つ誇りとして十和田湖の開拓者、 和井内貞行氏の存在はあまりにも著名である、貞三氏は貞行翁の三男として生れ、偉大なる 父上の資性を享けて、独力苦闘、実に今日の大をなしたのである。 齢十九歳の時、石狩石炭株式会社に入り、努力の人和井内貞三氏の人生のスタート、茲に 始まったのである。 二十一歳徴兵合格入営、二十七歳北海道美唄町に卜居す、鹽原多助を理想として、木炭商 を営む、斯くして数年の後質店、金融業、両替、貸家業、農場の経営と発展した、北海道時代 十九年は、凡ゆる辛苦苦難を克服し、遂に初志を達成し、此の間美唄町商工会長、町会議員、 衛生組合長等の公職を以て地方的に貢献甚だ大なるものあった。 四十五歳にして、羅新港に移住し、昭和十一年三月牡丹江に移居し、質屋、金融、貸家、 農場方面に専心し、後現在の旗亭富の家も経営することになった。 北海道並に朝鮮に於ける事業も、依然継続せられて居るが、此処一年前より佳木斯にも事業 を延して、先づ貸家及びアパート其の他を経営して居る。 力行努力の人、和井内氏の将来は如何に発展し行かは未知数に属するものあり、吾人は 同人としての氏の前途に刮目するもの大なり、既に自己の安定は十分なるべし、公益を広め 世務を開き、叙勲表彰の嬉しき快報に接すること切なり。 氏、牡丹江市の秋田県会発会式に際し、会長に押され、県人会の推量を受けつゝあり。 |