鹿友会誌(抄)
「第四十一冊」
 
△思ひ出の記事
○私の幹事時代の思ひ出   小田島由男
 私のアルバムをめくって見ますと、小泉幹事長を中心として、私たち幹事の写真が あります。昭和五年頃でしたでせうか、同じ早稲田の先輩小田島軍八さん、満洲で活躍されて ゐられるとか。洋画家の伊藤正義さん、新制作派協会の中堅として名を為しつゝあることは、 衆知の事、青山学院の小泉隆二さんは、郷里小坂の若い局長さんとして当地に於ける、小生の 唯一の親友。慶応の大里さんは郷里毛馬内でお亡くなりになったとか、かゝるメンバーに加って、 会のどんな仕事を為したと云へば、全くお恥しい次第、会誌の発行、例会の日の受付など が仕事の全部であったやうに思はれる。
 
 会といっても、川村竹治閣下の入閣祝賀会や、湖南博士の御進講で上京された折の歓迎会の折、 博士のお話を直接おきゝすることが出来た喜びや、湯瀬禮太郎さんの病気全快祝の会をお宅で 開いた折の氏の長唄位しか、印象に残って居らないやうな気がします。只勝手なことには、 幹事の慰労会に世界一のギター弾の名あるセゴヒヤの演奏会を帝劇できいたこと、神楽坂の 牛屋で一人で四人前か五人前平らげて、小泉幹事長を驚嘆させたのやうなことばかり残ってゐて、 今更乍ら全く申訳ないやうな気がする。もっと会を利用して、スポーツでも趣味方面でも、 若い連中が先になって頑張ったなら、もっと意義ある幹事生活を送れたであらうにと、 考へてゐます。

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