鹿友会誌(抄)
「第四十一冊」
 
△思ひ出の記事
○入会当時の思ひ出
 私達が幹事に命ぜられた頃はハリキリ時代で、野球部が出来たり、学生中心の汗臭い 時代でありました。それから皆スマートになって、学生中心はサラリーマン中心となった 様ですが、その頃の幹事は実に愉快でした。よく青山様のお宅にお伺ひして、「あゝ そのなんだ」を拝聴したものでした。
 
 当時奨学資金網拡張で、我々も鹿角中歩き廻った事もありました。兎に角戦後景気の 通貨過剰をねらった筈でしたが、それ程鹿角人の懐までは、金が行き渡ってゐない様 に見えました。
 
 一寸その頃の幹事の職責といふものをふりかえって考へて見るに、金一封を微笑んで出して 呉れる様な先輩 − 時々珍しい人 − をつれ出して喜んで貰ひ、酒代や飲物代が、つまり 会費外のサーヴィスが多い程、幹事に手腕があった事になり、そんな事が郷愁病慢性患者の 御気に召して、四十名五十名と会員が集った様でした。
 
 それで総会の外に、年に例会が二三回も開かれてゐた様です。
 その頃はたしかに野人の集りで、学術発表の会でもなく、むづかしい物言ひをする人もなく、 たゞ無邪気に気焔を挙げ、微醺低唱、むしろ高唱して歓を尽して居た様でした。
 時の流れはさゝやかな鹿友会の上にも、如実に及んでゐる事を面白く思ひます。
 
 終に臨み、小生をして今日あらしめて下すった鹿友会に対し、満腔の感謝を捧げると 共に、此の機会を拝借して、諸彦の御健闘をお祈りいたします。

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