鹿友会誌(抄)
「第四十一冊」
 
△思ひ出の記事
○会誌から拾った断片   奈良野人
 野生の鹿友会に入会したのは、本会設立第廿五周年記念直後の大正二年一月第廿六総会 からで、昭和十二丁丑年迄二十有五年を経、相当の古参株となった。
 今回の五十周年記念号発行に当り、自己の乏しい智慧を働かせず、会誌から教へられた儘を 剥き出しに二、三書いて見よう。
 
  会員数
年次    賛助員   在郷   地方   在京    計
大正二年  二五名  七一名  六七名  六〇名 二二三名
仝十一年  三四名 一〇二名 一〇三名 一一一名 三五〇名
昭和十一年 二二名 一〇四名 一四六名 一三〇名 四〇二名
 
 野生の入会当初大正二年の会員数に比し、十年後に五割七分の増加を見、二十四年後の昭和 十一年末には殆んど倍数に近い八割強の増加率を示し、会運の隆盛を如実に物語って居るのは、 真に欣快に堪へない。殊に地方並に在京会員とも倍以上に達し、会員諸子の離郷奮闘の健気な 活動状態がまざまざと目前に迫まるものがある。
 
 会の根幹とも云ふべき在京会員の外に就いて、大正二年、及是れより廿四年後の昭和十一年に 於ける会員の職業別を調べたるに、
  職業別
年次   官吏(軍人含) 教員 会社員 商工業者 学生   其他    計
大正二年    一二名  七名  六名   四名 三名  一〇名  六〇名
昭和十一年   二三名  九名 二五名  一三名 七名  五三名 一三〇名
 
 昭和十一年其他の欄五十三名の内、新聞雑誌記者五名、画家七名、医師七名にして、其他の多くは 空欄のまゝ無職業同様となってゐるのは、如何にも見憎い。
 右表を見て、最も面白く感じるのは、大正二年頃は、在京会員の中心?は、元気溌溂たる青年層に 属する学生諸君なるが如くなりしも、是れに反し近年は其青年層は影を潜め、分別盛りの壮年層に 移動し、大に巾を利かしてゐるかのやうだ呵々。野生の在京中、始終気に掛ってゐたのは、 毎年の例会並に総会へ出席する会員の余まりに少数な事であった。
 幹事諸君も此点には適切可良の妙案もがなと、毎年頭を悩まして居られたかのやうに思った。 近頃でも左様だろうと思ふ。
 
  例会並に総会出席調(夏季大会の分を除く)
年次    一回  二回  三回  四回 平均出席数 在京会員に対する出席率
大正二年 二一名 二一名 二一名 二二名   二一名    三五・〇
仝十一年 一一〃 三三〃 四〇〃       二八〃    二五・二
昭和十一年 三〃 一七〃 二七〃       一六〃    一二・三
 
 出席会員三十名以上の多数に上れる其会の内容を観るに、大先輩方の出席せらるゝと否と、 又会場の適不敵の二点が出席率に最も大なる関係を持って居はしないかと考へる。

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