鹿友会誌(抄)
「第四十一冊」
 
△思ひ出の記事
○私の幹事長時代の思ひ出
 湯瀬禮太郎氏病後の慰安会、昭和五年六月十五日、於渋谷町湯瀬禮太郎氏宅。鹿友会の会合は、 大概順境に対する祝賀の催しが多く、然らざる場合は、比較的顧みざるの傾向があり、此の点に 関して新機軸を開かねばならぬとは、月居忠悌氏の持論なりしが、右提唱に基き、大先輩湯瀬 禮太郎氏は永く眼病にて静養されつゝあるので、此際慰安会を催す事となり、会場は湯瀬氏の 好意にて同氏宅にて、万端御配慮に預かりました。
 
 顧問内藤先生を迎へての会合、昭和六年一月二十六日、於丸ノ内電気倶楽部、出席者三十四名、 先生には本日、本年度の名誉ある御進講の大任を無事終了せられたので、御多忙の処を本会の為め、 枉げて御出席を得、歓迎会を開催するの運びになりたる事、頗る有意義な事であり、且つは快心事 でありました。本会に取っては、空前絶後とも申すべきか、川村顧問を初め石川、青山、湯瀬、 米澤の諸元老方、打揃はれて一同に会したるは、近来の大盛会にして、大成功と申すべきでありました。
 本席上、内藤先生のなされた御話は、紀年号に別に録された事と存じますので略します。
 
 顧問川村先生の司法大臣就任祝賀会、昭和七年五月十四日、於日比谷松本樓、出席者四十一名。
 郷土の生める偉人川村先生の台閣に列せられたる喜びと、同郷の誇りとを共に祝賀すべく開催 したのであります。
 本会を代表して、青山顧問より祝賀の辞を述べられたるに対して、
 川村大臣、立たれ「人の栄誉といふ事は、一朝一苦に到来するものではない、殊に私の今日あるは 実に大なる苦心艱難の結果であって、決して華々しいとは考へて居らぬ。人は苦労を経験しなければ 真人間になれぬ。苦労の中にあっても、徒らに人に訴えず、勇気を鼓舞して克服しなければならぬ、 殊に今日の不況時に際して、一層その感を深からしむる次第である。皆様の祝意を深く謝すると共に、 此の壮健なる身体を以て国家の為めに努力する決心である」と、懇篤なる謝辞を述べられ、若葉を 渡る微風は、人々の心に和らかに吹き入る五月の候、日比谷松本樓に於て、盃を重ねるに従って 笑声湧き、我等が大臣川村顧問を持つ喜びをその談笑の交歓の中に頒ち合ひ、九時近く 散会致しました。
 
 以上は昭和三年より仝七年までの五ケ年間に催ほされた諸会合を、年を追ふて再録したに過ぎぬので、 世間の移り変はれる諸現象と相照し、足早き推移とは申されぬまでも、会の形態内容に不知不識、或る 流れの存する事は窺はれる訳であります。

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