鹿友会誌(抄)
「第四十一冊」
 
△思ひ出の記事
○その頃の鹿友会と此の頃の鹿友会
三、鹿角、東京其の他全国在住の鹿角縁故者=就中鹿角町村役場及町村会議員に合掌す
 鹿友会も創立既に五十周年に至るも、未だ維持飛躍の資基確立せざるは如上の如し、 幹事長は貧寺寒村の神社の、坊主神主の檀家氏子の顔を見れば、お布施お初穂をせびると 好一対で、寄附の事のみに没頭々痛して居るでは、唾を吸々乎と喘々焉たる生命を将来に 引張て行くに過ぎざるべし、鹿友会は既に郡是の価値在る奨学事業も営みつゝ在り、北秋の 栗盛氏、山本の松野氏の如き金持にも、私設育英事業を営みつゝある、金持らしい金持の 未だ鹿角になきの愧しき欠を補ふて居るのは、鹿友会奨学金である。斯る郡是的社会政策としては、 奨学金の外に、曩のダム事件の際の活動等、我鹿友会の存在は、発展助成せしむるべきの 必要多々屈指するに足るもの在り、翼くは各位に於いて十分の認識せられて、鹿友会に対して 各町村に於ける補助金支出等、何等か御考慮せられんことを合掌の至りであります。
 
 我が鹿友会は、現金の支出を仰ぐは迷惑なるべきを推察して、今回動産・不動産・生命の 保険部を創設し、代理店外交員に会社よりの給与を、鹿友会代理部に貰へば、加入者は 一厘も損せずに、鹿友会に援助できることになり、代理店外交員に好意私恩を売て居た加入者も、 大の虫を生かすべく、小の虫を殺すの大乗的見地に立て、鹿友会侠援の意気を奮ふて頂きたい。
(鹿友会は大飛躍せば、如何なる利益を鹿角に与へ得るかの陳述を致し度いが、其の他日に 譲るべし、希くは御諒察あらんことを)

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