鹿友会誌(抄)
「第四十一冊」
 
△思ひ出の記事
○その頃の鹿友会と此の頃の鹿友会
二、此の頃の鹿友会
 我が鹿友会も創立以来正に半百年、実に今年を以て五十周年を迎ふ。創立当時の会員、 曰く石田男、曰く内田工学士、曰く内藤博士等は既に白玉楼中の人と化し、川村、青山等の 顧問も方さに古希に達せんとし、我が党の士も或は白髪、或は禿頭、顔に万波の皴襞を 漂へるの有様である。何時迄も鹿友会を若い者、学生の会と考へる如きは、一の錯覚にして 認識を改むべきものなり。刻々推移する時の力を認識せずして、膠柱の考を以て押してゆけば、 茲に人心をして倦ましめ、人心梗塞し、会の打診は病的となる。故に日に新、日々に新なる 活を注入するを忘れてはならぬ。
 
 実に今日の鹿友会は、身分の相違、財産の相違、学問の相違、営業の相違、年齢の相違 ……等、昔の会の如く単純でなく、相違の集合団結となった。
 各会員は、自制自抑、修養の力を以て、謙恭になり切られ、優越感も自卑心も打忘れて、 水平の感となり切られると宜しいが、其れは却々可言難行ごとである。
 
 現在の若き会員では、各顧問の尊顔さへ見るの機会は少なくなった。是れも止むを得ざる 時の力であるから致方ない。茲に於いて吾人は深く覚悟し、決意せざるを得ざる時の到れる を知らねばならぬ。今迄での会は、物質的に自ら支へる能はざる時は、石田、川村氏等の 有力なる援助に依りて事業を営み来たれるが、鹿友会にビタミンやカロリーを供給する 川村顧問も百年の寿あるを知らねばならぬ。寄生の念を清算して、鹿友会は自力自営に 振へ起て、会の活動に依りて、積極的の意義存在を世に示すべき時代となった事を覚らねば なりません。

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