鹿友会誌(抄)
「第四十冊」
 
△大地に立ちて 花輪町 奈良野人
 鍬を振り上げ、畑を耕す、一と鍬毎に俺の頭に閃く、
  天地間我れたゞ一人畑を打つ
  耕や天と地と我ばかりなり
 
 実に好い気持ちである。真にこの境地に踏み込まぬ者には解るまい。
 晴耕雨読が東洋先人の理想であったことを想起すれば、農業と、ユートピアとが不可 離の関係にあることは、東西軌を一にしてゐるのだ。が、俺はこんに寝言を思っても見 ない。
 俺は、猫額大の極く僅かな土地を耕作してゐる小百姓に過ぎないが、暑い日も、寒い 日も殆んど欠かさずに、朝から晩まで汗みどろとなり、一ケ年の三分ノ二を真剣に働い てゐるのだ。
 
 本年は好天気に恵まれ、総ての農作物が好成績を挙げ、殊に陸稲は反当三石近い収穫 で、水稲を尻目にかけてゐる。
  沿道の実のれる稲穂触れて見し
  稲運び穂ずれの音に重からず
 
 又薩摩芋も一畝歩当り廿五貫匁の収穫、味は本場ものそっち退けの甘みと品質可良、 肥大甘味を自慢に知己へ配ばり、一人悦に入るも無邪気、掘り取り後一ケ月そこそこで 尻っぽも余さず平らげてしまった。
  重厚の人にはあらず藷を掘る
  薩摩芋蔓まゝ知己へ配りけり
 其外取り立てゝ紹介する程のものがない。
 
 俺は老来、鋤鍬益々頑健で、土に親しみつゝ安穏に暮らせて頂けるのを、心から感謝 すると共に、無上の幸福であると思ってゐる。
 筆の序でに、小坂町の石田家へ嫁いだ二女は十一月八日男の子を挙げた。ちゞの色が 年々濃くなってゆく。
  菊の咲くさ中に男子あげにけり
  菊咲いて移り香うれし男子あげ
 
 非常時局多事多端の折柄、会員諸子の御健康と幸福を祈って止まぬ。(昭和十二年十 一月廿五日雪の日)

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