鹿友会誌(抄)
「第三十九冊」
 
△噫! 佐々木彦一郎兄
 一郎さんは、文章が上手だった。いつも想ひを縦横に奔せて、艶麗絢爛なペンを躍らせる のであった。香気の高い、むせるような文章、南欧の青い空を思はせるゆうな − 時としては モロッコの熱風を感じさせるやうな情熱のほとばしる文章を書くのであった。さうした何十通かの 手紙を私は今も筐底に蔵してゐる。
 
 一郎さんは、絵が上手だった。俳画に近い洒脱な絵をよく描いた。絵から見て、私は一郎さんに 俳人を感じた。先日一郎さんと同じ帝大の地理学教室に居る私の旧友多田助教授に会った時、 同君は「佐々木君の足跡を辿って見れば − 一言にして言へば − 詩であり、殊に俳句である」 といふ意味のことを言ってゐたが、思ふに一郎さんは、冷静な科学者であるよりも、より多く 詩人であったのではないか。積み上げられた材料に、冷たい判断を下す前に、豊かにして鮮やかな 着想に基いて、一筋の途をさぐりあてるのではなかったか。実証的であるよりも、より示唆的 ではなかったかと思ふのである。そしてその「俳人」こそ一郎さんをして、前人未踏の地理学と 民俗学との交流の焦点に立たせたのではなかったかと思ふのである。
 一所に郷里へかへる途すがら、汽車の窓から描いた寒風山のスケッチ。それから水国の スケッチ旅行、その幾枚かを、私は今でも時々出して眺めてゐる。

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