鹿友会誌(抄)
「第三十九冊」
 
△噫! 佐々木彦一郎兄   小田島興三
 佐々木彦一郎兄 − といふよりは、一郎さんと言った方が身に親しく感ぜられるのだが − との交遊は、もう三十年近くにもなる。
 小学校時代、恩徳寺の森さんや關兼さんの昌次郎さんが音頭取りで、一群の投書少年団を 形成してゐたことがある。其の仲間が各自に新聞を編輯して回覧し合ってゐた。
 一郎さんは其の頃、尋常四年生であったが、仲間の最年少者であるにも拘らず、一家の 見識を持って、ざん新な趣向を凝らした新聞を発行してゐた。吾々は一郎さんの新聞を 待ち焦がれて読み合ったものである。
 爾来交遊二十数年 − 或ときは湯瀬の湯治に冬の毎夜を、囲炉裡の榾火をかこみながら、 昔噺に過したり、 − 或ときは、呉で(兄の中学時代)一夏を、灰ケ峯に上ったり、 湯舟温泉でつめたい西瓜を食べたり、音戸の瀬戸に渦巻く波を眺めたり、 −
 
 或ときは(兄の高等学校、大学時代)水国大洗の波打際で初日の出を待ったり、三浦三崎 をめぐって油壺に「ふところ日記」を読み合ったり、それから何よりも、郷土鹿角で大日堂や 五の宮や浦志内や、殊にあのなつかしきワノの散歩 − 川村保さんと三人で、明けても暮れても、 語り(寧ろ論じ)歩き、歌ひした、あの夏休みの一つ二つは一郎さんにとっても、深い思出で あったらうし、私としても一生のうつくしい頁を持ったことになるであらう。眼を閉づれば、 皮投嶽を離れたまるい月や、サカリコの紅提灯が、なつかしき思出を伴って浮び上るのである。

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