鹿友会誌(抄)
「第三十九冊」
 
△仁さんの思ひ出
 最後に摩山水君の俳句に就て論じてみようと思ふけれど、一度び其俳句に接する時、論ず可く夫れは余りに 私の上にある事に気がつく。
 本年八月渡邊水巴先生が、物故した曲水同人の俳霊を弔ふ可く切子燈籠、みそ萩の二巻を上捧せられたが、 霧の海と題して、みそ萩に収められた三十一句こそは、遺憾なく摩山水君の俳想を示して、内的生命の尊き 歩みを物語るものである。しみじみ翫味して戴きたく、末尾に記す事にする。
 
 尚私は、仁さんの母上に就て少し許り語り度い。若くして寡婦となられたお母さんは、仁さんを一人前に 育てる為めにのみ、其余生を送られて来たのである。其為め其時代としては珍らしい職業婦人に毅然として 立たれたのだ。目に入れても惜しくない一人息子をば姑さんに托されて、小坂、日立と雄々しくも奮闘せられた。 功なって今其支柱を失ふ。悲しんでも悲しみ切れないお母さん! 然し仁さんは、三人の娘さんを遺された。 お母さんは、御自分の若い時と同じ運命に置かれた田鶴子未亡人と共に、健げにも再び若返られて、 仁さんを弔ふ心を、三人の御遺子の御教育に専念せられ、慰められん事を祈って止まないものである。
(一九三六・一二・五夜 於宿直室合掌)
 
△霧の海
 新年
 取られゆく歌留多に燈火たゞれけり
 
 春
 立春や木肌こぼるゝ雪の上
 山国は木の芽供へて雛かな
 焚きつかぬ炉に明けきりし蛙かな
 大風の木の根に鳴ける蛙かな
 月代に刈株めぐる田螺かな
 芽を摘みて枝放ちけの夕空に
 牧場の丘の事務所の柳かな
 山吹や夜に押されて水の上
 春行くや若葉こぞれる冷たさに
 
 夏
 短夜を咲く草花や草の中
 風に揉まれて豆の葉枯るゝ暑さかな
 梅雨の草濡れそぼつまゝ明るうす
 ひらめきて消ゆ萩の葉や夕立中
 纜ひたる水棹傾く午寝かな
 山火事の木々立枯や草の蝉
 蝉啼くや明けぬ空見る通夜の人
 葉桜に嶽の風雨の社務所かな
 月見草露も無き夜を咲きつくす
(岩手山)
 草は絶えて雲海うごく旱かな
 
 秋
 下葉なほ露ふくみたる秋日かな
 山巓の死を照る月や霧の海
 山麓や際涯ハテなき藪を月移る
 霧の底見えて斜や佐久平
 溶岩の崩れ夕冷ゆ草紅葉
(明治神宮祭)
 花火散って秋の夜の星深きかな
 
 冬
 年の夜や火を埋めて寝る藪の音
 連れの貌見てなぐさめつ吹雪かな
 水音に雪霽れあがる木立かな
 冬の山空の光に暮れにけり
 落葉して駈る夜雲の木となれり

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