鹿友会誌(抄)
「第三十八冊」
 
△吉田吉徳君の想ひ出   奈良一也
 吉徳君と僕と、お互にたまにしか花輪に来ないのだから、氏神オボスナさんへお参りして 来なさい、と叔母に云はれ、も一人従弟と三人で、或る朝早くお参りに行った。いつも 元気な吉徳君は、その朝も皆と愉快にさわぎながら行った。すがすがしい気持ちでお参り を済すと、早速、
 「腕相撲しよう。奉納腕相撲だ。」
と云ひ出したのは吉徳君だった。僕等は誰も来ない静かなお宮の拝殿に上ってしまって、 腕相撲を始めた。吉徳君は余り頑丈な体格ではなかったが、腕相撲は得意らしかった。
 
 「朝飯前では調子が出ない。」
等と云ひながら、やがて帰途に就いた。
 帰る途々も、僕等は大きな声で歌ひながら来た。吉徳君は声替りのした中学生みたいな声で、 島の娘を歌って、吾々を笑せたりした。氏神さんへの畠中道は、まだ東山の蔭になってゐて、 西山ばかりが朝陽に輝き、鉱山の白い煙が静かに立ち昇ってゐた。
 
 これは去年の夏のことだった。それ以来、吉徳君とは東京で数回会ったが、いつも朗かに、 向ふから「やあ、」と呼びかける彼だった。
 おぼすなさんへの畠中道を想ひ浮べる時、いつも朗かに歌ひながら歩いて来る吉地徳君の 姿が想ひ出されるのである。(一〇、一二、二〇)

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