鹿友会誌(抄)
「第三十八冊」
 
△故小田切様を偲ぶ   小田島軍八
 「北海道に住んでゐると、鹿角の自然は一つの公園の様にまとまった美しさが感じられ ます。暫らく振りで郷里へ帰って見ると、そゞろに昔の事が懐かしまれて、郷里を持って ゐる事に対して、感謝の念がわいてくる事は、私独りばかりではないでせう。」
 それは、今から六年前の夏、私の学生時代、北海道に旅行して、札幌の御宅を初めて御訪ねした 時に、小田切さんの語られた事であった。重厚な風格を備えられて、ポツリポツリ話される 態度は阿らが倣らず、そして内容の含畜のある事が多かった。
 
 社会的に所謂えらくなった人には、後輩に対して、自我自讃によって相手を圧倒する 事によって、自分の優越慾を満足させたがるのが多いもので、従って話の内容が独りよがりで 狭くて、聞いてゐる方であくびを催す様な事が多いものであるが、失礼乍ら、小田切さんには いさゝかもさうした態度がなく、誠に奥ゆかしく感ぜられた。御自分の御仕事や、現在の 地位の事など、広い眼界から批判されて、路程も手前味噌や風呂敷をひろげる様な事がなく、 誠に御謙遜な態度であった。郷土を見るのもその長所と短所とをよく見徹して居られた。
 私は、実業界方面で成功する様な人は、人物も大きいものであると、その御人格にうたれた のであった。数日後、御勤務先の拓殖銀行にも案内下され、色々銀行業の事など承って、洵に 啓発される事が多かった。何かと御親切に御教へ下された。
 
 『鹿角の人は、人柄は正直で善良で、公平に見ても洵によい長所をもたれてゐるが、度量の せまいところが短所ではないでせうか。同郷の者で、他郷に出て成功してゐる者に対しては、 もっとあたゝかい眼を以て迎へて欲しい。当人は何とも思ってゐないのに、頭が高いとか、 威張ってゐるとか、昔はこーだったとか、何とか云って、白い眼を以て見る傾向が ありはしまいか、それではたいこもち見た様な気持ちにならなければ、くにへ帰れないわけで、 如何にも窮屈な気がします。それでいて、物を頼む時丈け同郷人を売物にする。 因習にとらはれない、もっと明朗な郷里になって欲しいものですね。」と云って、御笑ひに なられた。
 
 多分に都会的美しさと、植民地的なノンビリさとを備へてゐる札幌の町は、ゆとりのない、 あはたゞしい東京ばかりを見てゐる私には、たまらなく魅惑的だったので、学校を出たら 札幌に住み度いものと、感慨をひそかに残して去ったのであった。それも達せず現在に 至ったが、小田切様には毎年の年始状以外、兎角御無沙汰勝であったが、御活動の御様子丈けは、 遥かに風聞に接し、蔭乍ら祝福してゐたのであった。未だ御若く、然も御健康其のものゝ様な 風采の小田切様の御不幸を耳にした時は、只其の真偽を疑ふ計りであった。私は数回御目に かゝったのみではあるが、男性的な重味のある小田切様の面影が、今尚はっきりと眼の前に 想ひ浮べられるのである。

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]