鹿友会誌(抄)
「第三十七冊」
 
△工藤壯吉君を憶ふ   小田島信一郎
 駒場の運動会といへば、東都運動会中の花として満都の子女を熱狂せしめた時代があった。 従って其入場券を手に入れることがなかなか容易でないといふ有様で、至る所で争奪戦が 行はれたといふ話も満更嘘ではないらしかった。
 この運動会がある数日前になると、工藤君からきまって招待券と入場券を送ってくれる のである。だから、私は安心して子供達をこの運動会につれて行くことが出来たのである。
 
 工藤君が農学部在学中は、私は保証人として同君の授業料滞納の場合、学校からお小言を喰ふ 役廻りをして居たのだから、運動会の入場券位送ってよこすのは当然だといってしまへば それまでだが、工藤君の場合は、そんな軽々しい事ではなかった。
 工藤君が目出度農学士となり、巌手県農事試験場技師として遠く盛岡に赴任してから数年間も、 其招待券は毎年きまって盛岡から送ってくれたのである。
 駒場の運動会の招待券を盛岡からわざわざ送ってよこすところに、如何にも工藤君らしい 純真さが籠って居ると思ひつゝ、余足しはその招待券を握っては、いつも工藤君の人格の ゆかしさに、心を打たれて居たのであった。
 
 古い高等学校には、それぞれ独特な型があって、其高等学校出身者はいつとはなしに、其型に はまってしまふやうな感じがするが、其中でも一高と二高とは、最も典型的な二つの型を 代表するものとして、興味を以て私はみて居る。
 さういふ観点から工藤君をみると、全然二高型に出来て居るから面白い。自分が東北人である せいか、六高出身であるに拘はらず、二高出身の人達に心を惹かれる。朴訥の中に情熱が籠って 居るし、鈍重ながら粘り強さがあり、そして真正直で、微塵も衒気がない。
 工藤君と運動会の招待券とを結びつけて考へると、二高型のよさが、自然ににじみ出て くるやうな気がして、たまらなく工藤君がなつかしくなるのである。

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