鹿友会誌(抄)
「第三十六冊」
 
△嗚呼齋藤達郎君
 齋藤君と私とは、年もさうちがって居ないし、中学校も大館と郁文館といふやうに、 同じ学校を経てきて居ながら、どういふわけか、余り親しくおつき合ひをする機会がなかった。
 といって、すこしも交渉がないわけではなかった。鹿友会か、其外の会合でもちょいちょい お会ひしたこともあるし、同君に或る調査をお願ひしたこともある。
 だから、同君の訃報を受けとった時、私は尠からず驚いたし、ほんとうに惜しい 人間を失ったものだと思った。
 
 同君に会って先づ第一に感ずるのは、如何にも落着いた気品のある人格の持主である といふことであった。普通、興信所員といへば、軽薄にして、冷い感じのする人間が多い ものだが、同君には、そんな臭味は微塵もなかった。いつ会っても微笑を含んだ温顔を 以て人に接し、口数が少かったが、はっきり、明快にものをいふので、如何にも頼もしい 感じを人に与へたものである。だから、私も安心して、或る特別な調査を同君に依頼し、 それが尠からず役立ったことがあったのである。
 
 齋藤君が興信所にはいったといふことをきいた時、実はちょっと意外にも思ったし、また 長つゞきはしないだろうとさへ思ったものだ。ところが、いつまでたっても興信所をやめた といふ噂もきかなければ、方向を転換するやうな話もきかなかった。何ぞ知らん、君は 其間に孜々として職務に勉励、而も勤続二十年の長きに亘り、東京興信所の重要なる椅子を 占めて居たのである。
 私は、今君の霊に対して、君を見るの明なかりしことを衷心より謝さなければならぬと共に、 成功半ばに倒れたる君の心情を憶ふ時、そゞろに哀悼の念を湧き出づるを禁じ得ないのである。 (信一郎)

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]