鹿友会誌(抄)
「第三十五冊」
 
△追悼記
○故小田島禮七君
 「馬占山を討った高崎の部隊は、私の部隊だった」と淋しげに語った事があった。武人 の身として実に残念だったらう。青年将校としての前途も、病の為郷里にその再起の機を 待ってゐたが。
 花輪には惜しい人だった。後輩の君を如何に憶ってゐたか、又その温容は何人をも引き つけたものである。その突然といふ語で尽きる死も、敵弾で倒れる武人の死である、 禮七さんらしい死方である。
 晩年俳句に親しみ、その進境人をして三嘆せしめたものだが、その絶唱を紹介し、何時 までも悲しみを新たにする禮七さんの冥福を祈る次第である。
 「さし水に押され押されし金魚かな」

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]