鹿友会誌(抄) 「第三十五冊」 |
△俳人山紫の死 たゞ俳人としての彼のために残念に思ふのは、俳道に入ってから、日が尚浅くして、其広大無辺 なる真の精神に触るまでに至らないで世を終ったことである。 彼の遺した僅かばかりの句に就いてみるも、初心者とは思はれないやうな官能の閃めきと、 技巧の冴えとが随所にほのみえて居る。 古雛や大太刀佩かし参らせん 泳ぐ児の今日も休みて秋近し 寒月や町の家並の影歩む 伴れて来し犬の機嫌やスキー山 などの句は、何所へもち出しても、決して恥ずかしからぬ句だと思ふ。相当に延びてゆく素質 をもって居たことだけは確かだ。 死の前日に、湯瀬温泉にの句会によんで、偶然辞世の句となったといふのは、 差し水に押され押されし金魚かな といふ句である。辞世の句としてみなくとも、金魚の句として、全くの類のない、新味のある 句だと思ふ。而も単なる写生ではなく、作者の感情も可なり根強く織り込まれ、句全体としても よく引締って居て、いかにも整った、いゝ句である。 偶然とはいへ、かゝる名句を遺して死んだ俳人山紫も亦、幾分自ら慰むるところあって然る可しと、 兄十四樓謹んで茲に一文を草す。 木枯や一念通ふ地上地価
(七、一二、一四)
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