鹿友会誌(抄)
「第三十四冊」
 
△「消息 奈良野人」
 四、五年前迄は鈍い頭から、不味い文句を絞り出し、廻すらぬ筆を運こんでね漸く月 並式の消息を洩らして居ましたものゝ、永い間の田舎廻はりで、古い会員諸賢とは段々 と遠ざかり、新らしい会員諸兄とは殆んどお会ひする機会がないので、知らず知らずの 間に万事鈍感となり、不本意ながら、遂ひ欠礼ばかりして居ました。切に御寛恕を願ひ ます。野生は昨年師走、知己、友人へお挨拶を申上げた通り、生来の愚かさを包み、二 十有七年の永い奉公中(大林区署改称営林局、県庁及郡役所、宮内省帝室林野局ノ諸官 庁)人並なしく歩もうと其職に根限り、精一杯精力を出し、お蔭様で、漸く無事に勤め て参りました。
 
 当時真剣に、就職難や、失業苦(現今も同様)が叫ばれてゐる最中に、自己を捨て兼 ねた野生は、遂ひ總ての優遇を振り切ってお暇を頂いて帰郷しました。其後は土に親し み、愚鈍のまゝ力強く、明るく生きて行こうと折角蚕動中であります。親切に友人達は、永 らくの規則的官吏生活を罷め、呑気な自由生活に飛び込み、身体が懦弱になるであらう、 又さぞ退屈であらうと心配して呉れます。
 
 野生は、友人等の此親切に対し、真に心から感謝して居ます。
 職を辞したのは冬の頃とて、久方振りで、五ケ月許、故郷の雪中生活をして見ました。
 陽春雪解と共に、冬眠から這ひ出でゝ、お百姓の真似事を始めて見ましたが農業に対 する無智識な野生は、總てのコツが解らぬので、合理化か徒らに資本の放出ばかり、ヘ スが多分なので自分ながら呆れ返へり、寧ろ可笑しく思はれました。
 時偶、農閑を利用し、郡内や、近県の農事視察と洒落れ、何うかして一人前の百姓と なるべく跪いて居ます。
 野生の如き役人上がりの百姓姿をお笑種に覗いて見やうとせらるゝお茶気のあらるゝ 方は、是非お立ち寄り下さい。頗る新鮮味に乏しい、古臭い野生などの消息を、アーの、 コーのとお知らせするよりは、その消息を、拙ながら俳句で御笑覧に預からうと、大胆 にも、お目に掛けた訳であります。
 
 乞暇
  行く秋を文机隅に寄せにけり
 再乞暇
  一と筋に松をしるべや枯野原
 三度乞暇
  極月や自己知るものゝ気安さよ
 那須温泉閑居
  雪見つゝ日がな句作に耽りけり
  那須高原雪一面や師走空
 依願免官
  蝋八や我が身教ゆるお沙汰かな
 上京
  頭巾着て都入りする人となる
 袂別
  門を出て見返る顔にホロ時雨
 恩賜盃拝受
  御代の春貧しきながらも恩賜盃
 昇勲
  お沙汰拝し感又感や君が春
 縁故由
  祖先の地踏んで明るき雪の朝
 薪割
  詰る日を暇なく割りし薪かな
 炬燵
  読みあきの本投げやりて炬燵かな
  居眠むりの幾日もつゞく炬燵かな
 郡内旅行雑詠一内
  日盛や赫土広がる鉱山けむり
  盛り土の新田つゝくや雪の峰
  夏一と日オンドルの温泉場を訪ねけり
  雨登山して浮島の人となる
  ひろ残る雪さゞなみや山の湖
  夏深き峰に大湖を眺めけり
  急がぬ旅に涼しく通る原始林
  日盛りに日洩れ来ぬ雑林通りけり
  紫陽花や日さし樹の間に色あせし
  残鶯の峠を越えて鳴いてゐし
  キャンプ人の樹の間樹の間や夏の湖
  夏旅の阿修羅の流に見とれけり
 
以上でやめます。目下農閑を利用して毎月三回づゝ、花輪、尾去沢の風流子諸兄の間に 厚かましくも顔を出し、凝れる肩を、風流で撫でゝ慰やすのを唯一の楽しみとして居ま す。久方振りで野生の存在をお知らせするの光栄を有します。
 擱筆するに当り、会員諸賢のお健康と、お幸福を切に祈ります。(昭和六年十一月寄稿)

[次へ進む]  [バック]  [前画面へ戻る]