鹿友会誌(抄)
「第三十一冊」
 
△祭石川伍一君辞
 維時昭和三年十二月二十二日、故石川伍一君の贈位報告祭を施行せらる、余、不肖を 顧みず一門を代表し、謹んで君の英霊に告ぐ、回顧すれば明治十二年、君青雲の志を 抱き、東都に遊学し、学業漸く進んで四方の志あり、明治十七年清国に遊び、爾来廻遊 すること十有余年、未だ嘗て寧居せず、足跡禹域に晋し、明治廿七年日清の国交破るゝや、 君軍国に殉す、当時官は其功を録し、世は烈士を以て遇し、郷党は忠孝の臣子として迎ふ、 君莞爾として瞑せしならん、偶々昭和三年十一月十日、今上天皇即位の大典に際し、 聖恩君が枯骨に及び、従五位を追贈し賜ふ、是石川家一門の光栄に止まらす、郷土の栄誉なりと 云ふへし、今や君の令弟皆当代に令名あり、郷党の後進、業に就くもの学に遊ぶもの、 海の内外に散する数十百名、必ずや君の志を紹き、君の霊を慰むるものあるを信ず、 翻て往事を追想すれば、渺茫五十年、君幼にして慧悟談論するに長者の風あり、一門の子弟 深く推服せり、而して其提漸する輩、殆んど泉下に帰す、余、漫りに残命を貪り計らざりき 此余慶に会ふ、蓋し聖代の賜なり、即ち古人の所謂白頭独憶、君唯将老年涙一灑故人文の 感切なり、茲に跪きて斯の辞を諫ぶ、在天の霊髣髴として来り享けよ
  昭和三年歳次戌辰
     十二月二十二日
        旧友 青山芳得

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