鹿友会誌(抄)
「第三十一冊」
 
△陰謀の鹿角「眞田大古事件の記録」
 それで先づ青森、弘前、秋田を煽動しやうといふ事になり、豊口仲之助、 黒澤繁治外二名が大古に従って青森に行かうとしてゐる、と語って聞かせた。自分はなほ詳細に 質問してゐると、豊口一味の大森與兵衛が使者をよこして、自分を招いた。何事かと平尾、内藤 と共に大森邸を訪ふた所、席に唯志があり、前日の通り商売の話をする。暫くして大森は自分の 持参した檄文を見たいと言ひ出した。最初は拒んだが、強要するので示したところ、唯志は、 この檄文は小田氏が草したものだが、会期の約分がないので、すこぶる疑ったが、今にして思へば、 自分の誤りであった、あしからずといふ。そこで盛岡で巨頭として事をとるのは、誰かと問ふと、 唯志は、原數馬と小田仙彌だが、なほ当地の同志高橋嘉八が屡々盛岡に往復して相談に参与してゐる といふ。
 
 銃器弾薬の数を問ふと、唯志は、ミンヘール二十丁、和銃十丁、弾薬二三十貫の貯積がある、 所で君の方の準備はどうか、人員や兵器の数はいくらかと聞くので、自分は好い加減に、銃七丁、 同志二十余名だが、枡田勢と合せて五十名位とならう、共力して君等の謀を助けやうといふと、 唯志はたゝみかけて、金や米はどうかといふ、小田島勘助と諭して出させやうと思ふといふと、 傍から橘陸は、小田島は自分も目をつけてゐた、秋田に跡部の余党と、茂木の徒党があり、八戸 には川村定治を遣ったが、空しく帰った、再び關庄次郎、曲田熊次郎を遣らうと語り終って、 大森は立ち去り、新八、橘陸をつれて帰宿、酒を酌んだが意気当るべからざるものがある。
 
 自分は両人に、いよいよ交戦といふ場合、何を以て敵味方を識別するかと質ねると、紺股引に 紺脚半を著て、草鞋をはくものを味方とし、洋服で靴をはくものは悉くこれを斬らうといふ、 そこで重ねて兵の配置や進路を質すと、青森を襲ふものは間道を馳せて毛馬内に入り、金銀山を 略奪し、一手は花輪に進みて銅山を奪ひ、銅砲を鋳造し、一手は七戸、五戸、三戸を打ち従へて 福岡を経、浄法寺に入り、花輪口の兵と合して、進んで盛岡に入り、各部の兵を集めて仙台に 向って進み、鎮台兵を破って庄内、若松を煽動し、東京に入る計画だとある。
 
 茲に於て自分は、君等の謀議は違算なからうが、自分は未だ大古、原、小田に面会してゐない。 高橋氏と会って様子を聞き、盛岡に行くから、高橋に紹介してくれといふと、二人は、高橋邸は 此処を去る約一里だから、訪問するより寧ろ明日、高橋を呼んで、大森邸で会合しやう といって立ち去った。
 六日午後、新八、橘陸から高橋が来たと知らせて来たので、急いで行くと、豊口も来てゐた。 初対面の高橋に、君は久しく盛岡に居て、機密に参与したさうだが、詳細を知らせて呉れといふと、 変遷極りないので、今の情勢は自分も知らぬ、原と小田に問へばわからうとの事に、小田、原あての 紹介状を求めたが、高橋は承知せず、大古が青森から帰れば、急に事を挙ぐるやも測り難い、 秘密を保ち、人心を結合して時機を失はぬやう努めてほしいといふ。承知して帰る。
 九日、家に帰ると共に小笠原定一に一切を知らせた。

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