鹿友会誌(抄)
「第三十一冊」
 
△陰謀の鹿角「眞田大古事件の記録」
 これを読んで、誰の頭にでも直ぐ浮ぶであらうことは、文章が余りに現代的であり、明治十年 頃の人の『手記』としては、受取り難い事である。併しそれは後に書き直したのか、若くは若者 に口授して書かしたのか、何れかであらう。兎に角人名も正確であるやうであるし、話の筋が 通り、輪郭が整ってゐる点から見ても、仮令『手記』でないにしても、可なり正しい『記録』 であることは間違ひあるまい。
 
 所で私がかく長々とこれを引用した訳は、桃源のやうな山中の一盆地である所の、わが鹿角 の地にも、こんな義憤の火が燃え、反抗の血が沸いて、秩序破壊の徒党の策源地であったといふ事、 それも今より僅か五十年前に起ったといふ事を、始めて知った時の私の感情 − 喜びでもない、 悲みでもない、言ひ知れぬ複雑な感情 − の昂揚に禁へなかったからである。而してそれに連れて、 第二の慾望、事実の真相をもっと詳細に知りたい慾望に堪へなくなったのである。摘発者側の 記録はこれで充分であるが、陰謀者側に何かの記録はないであらうか、この事件に参加した者で、 尚ほ生存するものはゐないであらうか、古老に質したら、見聞者は尚少くないであらう、 郷党の若い人々のうち、私のこの一文に興味を抱いて、更に進んで此の陰謀事件の顛末を調べて、 正確な記録を作る特志家の出でんことを望んで已まない。次の鹿友会誌にそれを誰かゞ書いて 呉れることを予期して、私は一年を待つ。

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