鹿友会誌(抄)
「第二十七冊」
 
△石田様   川村十二郎
 石田様が突然逝くなられたと云ふ御知らせには、全く驚かされました。
 私達は余り多くを承知して居りませんが、花輪の今泉のサッコ様の八彌様が、石田県 令様の御養子になって、石田八彌様になられたのは、私らのよく知らない頃の事です。 兎に角鹿角辺りでは、驚異すべき出来事であったに違ひないでせう。その後秋田の中学 校から高等学校、大学と進んで独逸へ留学されて、遂に後の地位をえられたのですが、東 京では以前、駿河台の、今の金杉病院の処が、石田様の御宅だったやうに聞きました、 少し以前まで大名屋敷が残って居たものでした。
 
 大阪に居った二年間は、御宅へも時々御邪魔にも伺った筈ですけれども、当時の事は 殆ど記憶に残って居りません。御当人は、皆様も御存じの通りの温厚な君子人であり、 誠に立派な紳士であられたので、恐らく余り逸話などを残されなかった御方であったら しいと思ひます。あれだけになられても、政治方面に一向関係されなかった様に思はれ るのは、余り興味を有たれなかったからだらうと思ひます。
 
 鹿友会のために御尽しくださったことも、皆様の御承知の通りですが、恐らく会の創 草時代、即ち神代からの神様の一人に祀め奉るべき御方で、常に親切に会の為を思って くださったこと、殊に奨学事業などにも屡々巨額の支出をして下さったことも、余程の 御熱心でなければ出来えない事だらうと、私共も常に敬服して居ります。かう云ふ先輩 の御方を亡ったことは、誠に遺憾にたへないことです。

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