鹿友会誌(抄)
「第二十四冊」
 
△大日堂並に奥の院五の宮大権現略縁起
 抑、五の宮大権現は、人王二十七代継体天皇第五の皇子免の皇子と申し奉る。諸道に 達し玉ふ、故に人民此の皇子を尊敬す。御父の帝崩御の後、佞者之れを讒す。皇子、密 に之れを聞食し、
 吾れ、長く此処に居りては、後の患あるべし
と、思し召し、帝都を窃に御忍び出でられ、北国を経て陸奥の国へ御下向あり。比内郡 の辺より遥に東の方に晴々たる高山を見玉ふて、忽ち御心付あり、
 高山こそ、吾心の止る処なるべし
と、御馬を早め、当郡へ御着あらせ玉ふて、里俗に
 此里は何
と、御尋ね成さる。里人
 小豆澤村
と答ふ。図らずも御母君秀才女の御霊所を拝し、又大日霊の神社をも拝す。特に忠臣四 人遥に御跡を慕ひ奉る。 安保、秋本、奈良、成田
四人を召され、
 偖、吾れは皇子なるも、讒者の為めに都を忍び出て是に止るなり。先づ大和の方に向 ひ、御兄帝安閑天皇を遥拝して登山すべし、
とて、或る石の上にて遥拝遊されたり、後の世、此の石を五の宮皇子石と云。
 
 此の東の嶽へ御登り玉ふ。将に御馬の御鞍二つに離れ、其前鞍は飛んで花輪に落、尻 鞍は大里村に飛落、今に尻鞍と云地名、残れり。轡は大里村の山に飛落て、其轡、今 に同村に存在せり。御馬は石と成り、林下に縛駄石と云、是れなり。
 社堂造営、大日堂同時の御建立なり。
 
一、女男石 是れは、皇子の御行衛を御乳母夫婦、御慕ひ登りけるに、婦、草解(艸冠 +解)蔓にからまり、独活殻にて眼を突き、痛み強く、猶山上へ女人登るかなはず、山 中より戻りける、其処を二人引と云。
 彼の夫婦、一念凝りて林下に石となる、依て女男石と云ふ。
 中世之れを薬師と崇む、今も女の霊現れ、里人見るもの多し。五の宮摂社たり、後の 世、眼を煩ふもの祈願すれば其験無しと云事なし。此社、独活草解(艸冠+解)を禁ず るなり。

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