鹿友会誌(抄) 「第二十四冊」 |
△大日堂並に奥の院五の宮大権現略縁起 右両社堂往古より、朝廷御代々御崇敬、時代の国司御供料下し置かれ、元和元年旧領 主中祖南部利直朝臣、百二十二石の黒印を給ふ。又峯の薬師山一里四方、慶安二年南部 重直朝臣より大日社付に寄附せらる。黒印の内八十五石、社僧修験養老山喜徳寺妙光院 所務、十三石神職大里一庭、十二石神職籠屋、十二石神職大博士所務なり。 明治四年、江刺県神仏混淆区別をして、奥の院の五の宮大権現及大日堂共復古して、 大己貴神社と改正、社僧妙光院復飾安倍嘉津馬となり。袢勤す旧神職三名共に廃され、 同年より給禄及社付の山共残り無く引上げに相成、 同六年、秋田県にて村社と御取調、旧神官安倍嘉津馬祠掌拝命、爾来奉仕、 尤も両社略縁起は明治四年、江刺県管轄中、御尋に付、同県へ差出し候、 仍て今般、基本書を以て、更に相認め、中古伝来神仏混淆区別、以前の絵図面共相添 差上候也 秋田県管下 第二大区八小区陸中国鹿角郡 小豆澤村々社 大己貴社祠掌 明治八年九月二十七日 安倍嘉津馬 秋田県権令石田英吉殿 ◎大日堂に関する記録として残れる「大日堂五の宮略縁起」の写を安倍チヱ子氏から送 って頂いたので、之を茲に禄しました。記録としては一番たしかなものだらうといふこ とであります。他に「大日堂由来伝記 全」といふのが一冊残ってゐるさうで御座いま す。(編者) |