鹿友会誌(抄)
「第二十三冊」
 
△数字から見た鹿友会の今昔二三
▲明治廿年九月、本会が孤々の声を上げた時は、会員が十二名でありました。会誌第一 冊に『其後上京遊学の子弟大に増加し、現今にては通常会員四十一名、賛成員十八名に 達し候は、実に鹿角学運にために可喜の進歩と可申事に候』とあります。それは明治二 十四年のことであります。爾来会員は益々増加し、現在賛成員三十四名、正会員三百二 十名の多きに達したる事は、喜ぶべく誇るべきことだと思ひます。
 
▲会誌第四冊第五冊あたりを見ますと、毎月一回の例会に出席会員数は、二十名内外の 数字を示してゐます。それが現在に及んでも尚同じ位の出席数を示してゐるのは、残念 に思ひます。当時に於てすら大里武八郎氏は堂々たる大論文を草して、会員の出席を促 されました。『会員が互いに触接するは、一面より言へば他の会員を砺石として益々自 己の刀を利にせんとするなり。反面から言へば自ら砺石となりて、他の会員を研磨して やるべき義務あり。自己の利益は或は抛棄するを得べしといへども、義務はどこまでも 遂行せざるべからず』と言はれたのは、至言だと思ひます。序に、出席者の一番少なか ったのは、第百六十二例会で、出席者一名小田島信一郎氏のみ。次は第百五十六例会で、 出席者諏訪冨多、川村十二郎両氏。次は第百六十四例会で、出席者は大里武八郎、川村 十二郎、小田島信一郎三氏でした。
 
▲会誌第一冊を見ると、未納会費参円六拾銭とありますが、現今では実に弐百円を越へ てゐます。絶対値に於ては殖ゑてゐますが、これは可喜の進歩ではないと思ひます。 『会員も多くなったし、貨幣価値も古とは異なるし』などゝ言はぬことです。

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