鹿友会誌を紐とく
第二十三冊(大正11.7)
 
△幹事長動向
 大正十年八月幹事長二回目の醵金応募の為の帰省、大いに功を博し、多額の醵金、人 数集まる。
 更に夏期演説会は、花輪・毛馬内・大湯に於いて開催、花輪・毛馬内は大いに賑わい、大 湯は旧盆にあたり来会者少なく、小坂は団体組織がない為に開かなかった。しかし、大 変好評で来年以降もやって欲しいとの要望が多くあった。
 
△例会
 醵金総合計は、申込二八、五二〇円、払込額八、一六八円、未払込二〇、三五二円で ある。
 この年、野球部を設置する案あり、野球部設置寄付金も百十三円五十銭(後で五円) 集まった。
 また、会費も前納又は当年完納分も入れて、六十九人分二百二円十五銭。
 
△「感想と希望 中島莞伯(鐵之助)」
 十年振りの例会出席であったが、現在の青年学生はツンとして、先輩の顔を瞰み合い していることや、青年の意見がどの様であるか見当がつきかねている。
 青年学生が赤裸々に意見陳述出来ない事情が、現鹿友会内部にありはしないか。
 鹿友会員はすべからく父子兄弟の様でありたい。
 
 次に、会誌発行を年二回の要望は十年来言ってきたことであるが、体裁にとらわれず 回数を増加する事を更に切望する。
 
△「田舎者のまゝの私共の生活 山口猪祐」
 東京に出てきたのは大正六年であった。種々なことはあったが、八年十月に下宿屋生 活から、今日の自治寮生活に入ったことを書いてみる。
 
 花輪の人土井口トク女史(息子恵郎)に炊事一切を依頼し、三名鹿角の人、福島県 人一人、千葉県人人一人の七名。
 千葉の人が去った後、埼玉の人や鹿角からもう二名、更に土井口が替わって錦木の人 池田千代婆さんを頼んだ。
 現在は鹿角六名、他二名とお婆さんの九名世帯でやっている。最近はもう一人鹿角人 が入り、十名である。
 学生の外に社会人のうち三人は夜学校へ通っている。この寮には青山幹事長も、小田 島幹事も来られたことがある他、黒沢隆朝、中島織之助氏同夫人、上田多次郎、小田島 次郎さんなども時々見えられた。
 東京の片隅ではあるが、「鹿角の生活をそのままそっくり」の楽しい気分で過ごして いる。
 
△「新緑の頃 小田島信一郎」
  • 新緑の頃

  • 青年の意義
  • (年齢上の青年ではなく、思想上の青年たれ)
  • 若さの輝き

  • 政治の芸術化
  • (恐るべきは芸術を理解せざる職業政治家の群である)
  • 婦人問題

  •  鹿友会の資格に男女区別を設けていないにもかかわらず、全体的に拒否する傾向にあ るが、これは遺憾に思う。男女共学の盛んなる時に、風儀問題をかつぎ出す似非道学者 があるが、その輩は思想上の老人ともいうべき人間である。
     
  • ユーモアの意義

  •  ユーモアの意義を理解しえない人に、芸術が理解されるはずがない。芸術を理解する ことを持ちえない人が、時事を論じ、人事を議する時、無責任なる独断、享楽的なる漫 罵に陥り易い。という事は、余程注意しなければならぬ。「青年乃鹿角」には時々名文 が載るが、くだらない悪落や下品なる皮肉のために権威を失墜せざるばかりでなく、読 者に反感や不快の念を起こさせる事は度々ある。慎むべきことである。
  • 責任感

  • 責任問題

  • 筆と口

  •  「鹿角人は筆は立つが舌が廻らない」とは度々聞かされる事であったが、昨年の自由 大演説会の弁士は、いづれも雄弁家であった。大部分は鹿角青年諸君で、すっかり予想 を裏切られてしまった。筆と口は、実力競争時代に活躍すべき新人の必ず備えておかな ければならない武器であり、常にこれを磨くことを怠ってはならない。
  • 第三者


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