鹿友会誌(抄)
「第二十三冊」
 
△亡友追悼録「川村直哉君」
○直哉ニイさんの足   興三
 やっと自分の身体を支へるだけの力ができてから、終焉の床に横たへられるに至るま で、直哉ニイさんの足は、その頭の命令に忠実に従って、あちこちと、直哉さんを運 んで歩いた。花輪から大舘へ、大舘から此処彼処を通って、アメリカへ。アメリカの西 海岸を或は北に、或は南に。そこで燃えるやうな大地に、しっかりと両足を踏張って、 真剣に人生を体験して行かうとした。そして、最後に、故郷花輪へ。
 
 直哉さんの頭は「世界の風に吹かれかせ」一世紀も時勢に遅れてゐる故郷をば、遥か に離れてしまった。にもかゝはらず、直哉さんの足は、一寸も故郷を離れなかった。ア メリカの西海岸、熱沙に立ってゐる時も、直哉さんは、後足で故郷に砂をかけなかった。 直哉さんは、故郷を熱愛してゐたのである。形の上の足は異国にあっても、無形の(と 言ふことが許されるならば)足は、根強く故郷に植ゑられてゐたのである。「そんなに 故郷を愛するなら、何故太平洋を越えて去ったのか」といふ問に対し、直哉さんは、明 快な答を与へられた。「私は、極楽が私にとって好ましい処でないと同じ意味で、故郷 を好ましく思ひません」。
 
 直哉さんが、熱愛してゐた故郷は、直哉さんにとって、淋しい故郷であったらう。偶々 病を得て、帰った時、警察は、危険思想の宣伝に来たのでは無からうかと言って、手を 廻して調べたとやら。
 滑稽なる警察的観察に依れば、直哉さんは − 今の世の理性を備へた青年と同じく − 確に危険思想を持ってゐた。何となれば、直哉さんは、現代の社会組織に満足してゐな かったから。奴隷を此の世に見ないやうにしたいと思ったから。そして「日本の為に支 那をぶっつぶせ」、「国家の為だ、アメリカをやっつけろ」とは言はなかったから。
 
 直哉さんは、花輪を愛した。日本を愛した。火のやうな情熱を以て、日本を愛した。 愛すればこそ、花輪を − 花輪を通し日本を − 正しい方に向けようと努力したのだ。 愛する故郷に、静に足を延ばして、直哉さんは、その努力の一生を、微笑と共に終へら れたのだ。

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