鹿友会誌(抄)
「第二十三冊」
 
△亡友追悼録「西村惣一郎君」
○西村君の幻を追ふて   澤口馨
 ゆく川の水ならぬ、消え行く人の命の速かなるを、つくづく感じたのは、西村君の訃 に接した時であった。余りの突然さに、「西村君も死むだのか」と云ふ淡い驚しか起こ らなかった。其の瞬間の私の心を、今でも不思議に思ふて居る。
 
 西村君の逝ける朝に、君の病なるを始めて知り、その午後に君の死を聞いた。
 私は、前々から斯う云ふ事の起りはせぬかと心配して居た。そして、西村君にも度々 忠告はしたが、私の思って居た事が事実として現れたのが、悲しく、そして、恐ろしか った。
 体の偉大なりし君。
 偉大なりしが為に死を速めたる君。
 君は暴飲し、暴食した。
 それは、君は余りに君自身の体を信じ切って居たからである。そして、私が君に忠告 したのも鯨飲馬食を慎しむ事であった。
 
 君の死を聞いたときには、「私の云ふ事を常に守って居て暮れたなら」と云ふ恨みが ましい心も、悲しい心の何処かに含まれて居たのを、はっきり知って居る。君が逝く一 月ばかり前だったらう、私の宿を訪れて呉れたのは……。
   そして、それが君の見納めであった。其の時は、君は元気で、新潟の方へ遠征するこ とや、少しお腹を痛めてゐる事などを離して居たが、まさか、あんな大事にならうとは 夢にも思はなかった。
 
 
私が、大舘中学三年の時、君は新たに一年に入学された。そして、剣道部員とし て、友達として、君と私との交りが初められたのであったが、君は「我」に強い人であ った。これが君の長所で、君の撃剣の上達されたのも皆「我」の強い為めであった。
 きみは又、無邪気な名人であった。君の日常の、キビキビした愉快げな生活は、此の 無邪気なる心からの現れだったと思ふ。詰まらない事に悲しんだり、喜んだりした君は 、可愛らしい程に無邪気な青年であった。
 思へば淡い君の命であった事!
 
 斯う云ふことがあった。君の十六歳の頃、例年ながらの県立中学校の武術大会が秋田 市に開催された。その時、君は母校剣道部の花形として、試合に臨まれ、初陣に於て、 抜群の成績を挙げ、敵五人を破って勝利の基礎を造って呉れた。あの時の君の無邪気な る誇り顔が、何んなに私等を喜ばした事だったらうか。
 又、斯うした事もあった。私の卒業の年、母校で剣道大会を開いた時、君は白軍の 三将として出陣し、私は紅軍の大将として出てあった。紅軍の方はズーッと押され気味 で、遂ひに君と私と試合することになった。二人とも打ち込むことも出来ず、随分長い 試合をしたが、君の「突」をかはし損ねて私は破れて仕舞った。
 
 試合後、君は私の所へやって来て「お腹が空いたから、菓子でもおごって呉れ」との 注文に、「君が今日勝ったんだから、負けた俺れに買はすのは非道い」と答へたら、 「あんたが今日勝つべき試合に負けたから、罰として買はねばならぬ」と云ふて笑った 事があった。
 あゝ、無邪気なりし君!
 
あの活々した顔は、再び見ることが出来なくなった。君の美しい声で唱うて呉れ た、デカンショも聞く事が出来なくなった。
 
 さらば君よ!「思ひ出」の二つ三つを記す文は拙いけれど、君の永眠の安らかなれと 祈る友の心を受けられよ。
 あゝ、星よ、輝け!月よ、光れ!
 そして、永久の生に、無窮の沈黙に、静かに息づく西村君の霊魂を慰めて呉れ。あゝ 。

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