鹿友会誌(抄)
「第二十三冊」
 
△亡友追悼録
○關圭三君
 花輪小学校卒業後、大館中学に学び、途中転じて東京獣医学校に入学、同校卒業後、 陸軍馬補充部三春出張所に勤務せられ、大正七年、府下淀橋角筈に家畜病院を開業中、 大正十年七月二十九日、溘焉として逝かる。享年三十二歳。
 
○圭三さんの思出   小田島信一郎
 圭三さんが、亡くなられたといふ通知を受けて、其告別式に行ったのは、去年の夏 頃と思ふ。それまで、四、五年の間は、お互に無沙汰勝だったので、消息がさっぱ りわからなかったが、告別式に行って、始めて、兼ての噂通り、家畜病院を経営して 居られたといふ事と、其所で病んで、其所で亡くなられたといふ事を知った。
 
 東京で、独立して仕事をするといふ事は、容易な事ではない。殊に花輪人のやう な、温順過ぎる性格の持主には、尚更困難な事にやうに思はれる。
 圭三さんは、学生時代から、からだが余り丈夫ではなかったやうに記憶してるが、 何時会っても、快活で、話上手で、気持ちの好い人であった。そして、常に何かを計画 してるやうな人で、そんな話になると、条理整然として、如何にも才気溌剌たるものが あった。
 だから、家畜病院を経営して、奮闘の第一歩に出られたといふ事も、圭三さんとして は、当然踏んで行くべき道であって、あの堅き意思と、あの鋭き才気とを以てしたなら ば、多少の困難に遭遇するとしても、必ずや相当の成功を収め、花輪人として、大いに 気を吐いた事と思ふ。
 病気のため、中途で倒れたといふ事は、かへすがへすも、残念である。
(大正一一、五、二〇)

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