鹿友会誌(抄)
「第二十三冊」
 
△亡友追悼録
○哀悼辞
 曹渓の路を認得すれば、生も一時なり、死も一時なり。生即不生・滅即不滅とは誰が言 ひ初めし。まことに光陰は矢よりも速かにして、身命は露よりも脆しと観じ乍ら、而も 尚世の中にさらぬ別の無くもがなと念ずるこそ、情ある人の子の心なるに、何事ぞ一夜 の雨を隔てゝ、昨相見つる友と、今は幽明境を異にして、且弔ひ泣かんとは。
 
 顧るに、大正十年五月、故山に臥して悠々風月を楽まれし内田愼吾翁の簀を易へられ たるに遭ひ、郷人涙痕尚未だ消せざるに、七月、關圭三君の事業半途にして夭折せらる ゝに遇ふ。十月、嘗て本会評議員として尽瘁せられし大畑茂千代君忽焉逝かるゝあり。 沈黙禅者の如き面影再び見るべからず。
 十一月、豐口庄作君、志を得ずして空しく早世せられ、十二月、東都剣界の寵児と 謳はれし西村惣一郎君、病を得て復起たず。雄魂毅魄、去って何れの処にか逝く。
 而してその月、花輪の長老石井留之助君溘焉として永眠せらる。年を越えて二月に入 るや、寒気料峭たる厳冬は無情にも吾等が手より、川村直哉君を奪ひ去れり。人生に忠 実なる君に比すべきなきを、此の恨いつの世に尽くべしや。三月、述職して将に帰途に 就かんとせし豐口甚六君、台湾の客舎に逝かる。瘴煙毒霧、此の寛厚の長者に災せ るなり。
 
 指を屈すれば、訃報吾人の胸を打つこと八度、茲に別離に立てる吾等郷人、綿々とし て絶えざる痛恨遣瀬なく、僅に思出を録し、以て哀悼の微衷を表せんとす。窓外には落 花楚々、哀れ深き折柄の逝く春よ。悲しい哉。噫。

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