鹿友会誌(抄)
「第二十二冊」
 
△亡友追悼録「村山福太郎君」
○思ひ出話 …村山君の事ども…   小笠原牧
 沈黙を破ってA − はこんな意味の事を言ふた。「米国では、学校を卒業する事を、 入学試験が出来た、そして、卒業式を入学式とか言ふさうだ。実際社会への入学式だか らなァ。村山君などは、やうやく入学したばかりで、たほれたんだから、どんなに残念 だか、想像に余りある。」
 『人は誰だって、死は惜しむ可きものだが、其の惜しむにも程度があって、ウンと惜 しまれる人と、少し惜しまれる人とがある。その大いに惜しまれるにも、種類があって 、過去のために、未来のために、現在の事業のためにと、いろいろある。彼の人などは 、現在、未来共に、大いに惜しまれる方だが、惜しいものだ。』
 
 Bは、外套のポケットに手を突き込んで、うつむきながら、誰に言ふとなく、考へる 様にして歩いた。
 『僕等なんか早く世の中から追ひ出されて、左様ならした方がためになる。いゝ人は いなくなって、我々のやうな奴ばかり残るから不思議なもんだ』
 
 C − が、いつもの笑談のやうに、冷笑するやう大きな声で笑った。ふだんなら皆、 ドット来る所だが、その笑ひの底には何かしら淋しさと、或る力とがあった。
 それは、村山君の葬式の途中でした。皆でよく、しゃべった。笑ひながらも、悲しい 追憶談であった。葬列で笑ふと言ったら、さぞ不謹慎だと思ふでせうが、私等の心はそ んなものではなかった。真実に村山君を追懐し、哀悼した。形骸ばかりが会葬したり、 一片の義理とかなんかで送葬してゐる人は多いんだから −
 
 その日は、ドンヨリした泣きさうな空であった、小学校、中学校からの友達としては 、花田、柴田、中村、駒ケ嶺君等と私とであった。葬式が出る迄、二階で待ちながら、 小さい時からの写真帳や、色々なものを見せていただいて、尽きない思ひ出話をした。 もう出る頃から、とうとう降り出して、いやが上にも悲哀を増した。その中を私達は、 同じ傘に入ったり、肩をすり合せたりして、葬式の後の方にかたまっていた。会葬の人 々も、それは多数でした。その棺の側に、老いたお父さんの − 真面目でお人のよい − 淋しく、悲しさうな姿が、守りながらついて行くのを見た時は、皆の眼が曇った。淋し いながらも、杖とも柱とも彼の出世を頼りにして来た − つまり彼のために生きて来た 人として、この目に会ふた心は、いくら私等が努力したって、結局想像は想像までに過 ぎません。とても本人の心にはなり得ない。及ばないのです。
 誰かの古歌にこんなのがあったやうです。
 
 悲しさを誰に問はまし子を思ふ 親の心は親ぞ知りける
 
 私は、村山君に付いては、そんなに深くは知らない。その時、皆が一所になって語り 合った事は、却ってよく彼を正確に表して居る。誰がどんな事を言ふてあったかは、忘 れたが、彼に関した大低の話が出た。その言葉を借りるのは、改めて私一人の彼を書く よりも意味がある事と思ふから、面倒でもそれをならべます。皆と共に追悼したいから 。

[次へ進んで下さい]