鹿友会誌(抄)
「第二十二冊」
 
△亡友追悼録
○若松惠介君
 君は毛馬内町若松徳治氏の息であって、毛馬内小学校卒業後、暫く大館中学校に学ば れてあったが、中途にして上京、早稲田実業学校に入学され、勉学の傍ら柔道の名手と して中等学校の間に重きをなされて居った。そして目出度く業を終へられた年、一年志 願兵として弘前五十二聯隊に入営せられ、帰郷後は主として毛馬内青年会の柔道師範と なれた。現在毛馬内で柔道が盛んになったのは、君の力に依るものである。何事にしろ 、一つの業の伝道者に対しては、多くの敬意と感謝が捧げられなければならない。此の 点に於て − たとへ其外の奉仕が遂げられなかったにしろ − 君も亦た一人の人間とし てのつとめをし了せたものである。其の後転じて小坂鉱山溶鉱冶金課に勤務中、不幸病 を得て、遂に再び起つことが出来なかった、大正九年八月三日。年歯僅かに三十三歳と は、惜しみても尚ほ余りある次第ではないか。

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